ころんころん、と口の中で甘酸っぱい飴をころがした


夕暮れの教室。窓から見える空は、橙色に緋色、それにもしかしたら薄っすらと紫色も混ざっているかもしれない。一言で言えない鮮やかな空と正反対に、私の心はあいにくの雨模様。

今日、ずっと好きだった隣のクラスのおとこのこに告白した。

容姿は普通、成績も普通、部活は吹奏楽部、なんの変哲もない、普通の一男子生徒。そんな彼に恋をしたのは、この西浦高校に入学したその日のことだった。同じ高校から西浦に来る生徒は少なく、不安でいっぱいの私は、一人で鞄を握りしめてクラス発表の紙を見ようと右往左往していた。背の低い私には大勢の人が群がるそれを見ることは難しくて、精一杯背伸びして自分の名前を探そうとするけど、前の人に阻まれて上手くいかない。そんなとき、声をかけてくれたのはその人だった。「キミ、名字なに?」そんな感じの言葉だったと思う。たどたどしく言った私の苗字を聞いて、すぐに視線を前に向けて私のクラスを探してくれた彼。その横顔を見て、私は簡単に恋に落ちた。


けど、その恋も今日で終わり。「きみのことをそんなふうにみえないから」そう言って彼は私の前から立ち去ってしまった。緊張と不安でいっぱいだった心が一気にしぼんでしまって、最下層まで突き落とされてしまった私のこころ。そのまま帰宅する気力も出ず、既に1時間以上も教室の自分の机に突っ伏している、というわけだ。


「はあ、」


深く、ため息をついた。既に涙は枯れて、机の上には湿ったハンカチが一枚だけ。外からは運動部の練習する声、別館からは吹奏楽部の演奏の音。きっと彼も混じっているんだろうと考えると、またじわりと目が熱くなった。
もう、帰ろう。
そう思って、ようやく重い腰を上げた。ガタン、と椅子の音が誰もいない教室に響いた。それと同時に気付いた、軽やかに廊下を走る音。たったった、という音が近づいて、近づいて、そして、足音が止まる。ガラリと教室のドアが開かれた。


「あれっ、?」


駆けてきた勢いのまま教室に入ってきたおとこのこ。普段見る私服じゃなくて、真っ白い野球部のユニフォームを着た、クラスメイト。さかえぐち、ゆうと、くん。
顔をこちらに向けて、驚いたように目を丸くしてその場に立ち止まった。


「さかえぐちくん、部活は?」
「今は休憩中。忘れ物したから取りに来たんだ。…は?」


にこり、といつもの柔らかな笑みを浮かべて、栄口くんは自分の席に向かって歩き出した。ガタガタと椅子を下げて机の中を漁っている。栄口くんの机は他の男子みたく無茶苦茶にノートと教科書とプリントがごった返しているわけでもなくて、几帳面に揃えられていた。


「えっと…別になんかやってたわけじゃないよ。もう、帰るとこ」
「そっか。は明日の数学の宿題やった?俺、明日当たるんだよねー。それで家でやってこなきゃって思ったんだけど、」
「えっ…宿題…?」
「ん?うん、宿題」


私は急いで机の中を漁って数学の教科書を出す。前回習ったページを開くと、[復習問題]の文字がシャーペンでぐるぐると囲まれていた。その上に漢字2文字で「宿題」という文字。
サッと自分の顔が青くなるのが分かった。


「…もしかして、忘れてた?」
「う、うん…、うっわー…やばい、このページまるごとだよね?? こんなの終わる気しないよー…」
「はは、もしかしても数学苦手?」
「うん…」


難しいよね、と栄口くんは笑顔で言った。手には数学のノートが握られていて、練習終わったあとやるんだろうなあとぼんやり思った。いや、人のこと言えないけど。私もやらなきゃいけないけど。


「あ、
「えっ」


ごそごそと取り出したのは、黄色いパッケージの小さな袋。
見たところ、飴玉みたいだけど、一体これがなんだと言うのだろう。
首を傾げながら栄口くんを見ると、満面の笑みを浮かべて、こちらにそれを差し出した。


「あげるよ。レモン味、嫌いじゃなかったらだけど」
「え、いやでも、お返しできるもの持ってないし…」
「や、いいって。その代わりと言っちゃなんだけどさ、」
「え?」

「もし良かったら、明日宿題の答え合わせしてくれないかな」


夕焼けを背にした栄口くんがふんわり笑みを浮かべながら、そんなことを言ってくれて。私はきゅんと心が締め付けられた。
うわ、あ。さっきまで真っ暗闇のさらにどん底にいた私の心は、もう別の色に染められていて、これはまさか恋ってやつじゃないですかと心の中で思い切り叫んだ。叫んだ。失恋してすぐにこんなに簡単に恋に落ちるなんて、さすがにちょっと節操無さすぎると思うけれど、でもしかたない。
こんな優しい笑顔も声も私は知らない。


「わ、わたしも自信ない、けど」
「いいよいいよ。じゃあまた明日」


そう言って鞄を持ってドアの方に向かう栄口くんを直立不動で見つめてしまう。ドアをくぐる直前、少し振り返ってこちらを見る。


、帰らないの?」
「えっ、あ、帰る…っ ああでも先に、帰ってて…!」
「わかった。もう暗くなるから気をつけて」
「あ、ありがとう…っ 栄口くんも」


へらへらと笑みを浮かべて、いっぱいいっぱいになりながらそう返した。
すると、栄口くんは少し笑みを浮かべて、呟くように、


「元気出たみたいで安心した」

「…えっ」


そう言って、背中越しに小さく手を振って教室を出て行った。
うわあ、やさしい。やさしい。
思わず机に突っ伏して、貰ったレモン飴を握りしめた。
人に会うのをためらうほどに緩んだ頬は引き締まる気配を見せない。




失恋を癒すのは恋でした




2012.7.10 三笠