「また」という言葉が自然に言えることが、こんなにこんなに嬉しいなんて知らなかったよ



「…高瀬?」
「ああ、
「なんでここにいるの」
「此処で待ち合わせなんだよ」


いわゆる、元彼、の、高瀬準太が私の隣に来た。
ざわついた、学校からの最寄り駅の、改札の前の壁。そこに背中を預け、私と高瀬は顔を合わせることもなく、ただそこに立っていた。

そういえば、なんで別れたんだっけ。
ふと、そんなことを考える。
何かトラブルがあったわけじゃない。ただのすれ違いが重なって。
なんとなく、一緒に居る機会が少なくなって。
それで、進学と同時に破局。そんな感じだと思う。

それから暫く会ってなかったけど、高校に入ってから高瀬は身長も伸びて少しだけかっこよくなっていた。
高瀬と同じ高校に行った友人には、高瀬がモテる、という噂をよく聞く。
連絡を全くとっていなかった私には、今の高瀬がどんなことをしていて、どんなふうな人間なのか、まったくもって想像つかないけれど。


「お前も、待ち合わせ?」


ざわついた場所でも、高瀬の声はよく聞こえた。
昔馴染んでいたはずの声も、少し低くなっているようで、知らない人みたいに感じた。


「うん。10時に」
「…あっそ」


誰と、とは訊かなかった。私も訊かなかった。
高瀬は少し時計を見て、そしてなにやら背中を壁から離した。
今の時刻は9時50分ちょっと前。待ち合わせまであと10分。
この時間に駅にいるってことは、高瀬だって10時に待ち合わせでしょう。それなのに移動するの?私の隣にいたくないの?
そう思って、少しだけ、ほんの少しだけ、心がびくりと震えた。
どうでもいいはずなのに、どうして動揺しているの。

もしも、おんなのこ、とデートだったら。そんな言葉が頭によぎった。


「俺、もう行くわ」
「…待ち合わせじゃなかったの?」


何気ないように、震えないように、ちょっと低い声でそう言った。
目の前に立った高瀬とは、見上げないといけないくらいに差が出来てしまった。
今までなにも気にならなかったのに。いなくたって、別に寂しくも悲しくもなかったのに。どうして今ここにいるの。どうして私は、行ってほしくないなんて思ってるの。ねえ、どうして。どうして。


「本当は、向こうの改札が待ち合わせ場所なんだ」


向こうの改札、と言われてふと思い当る。
そういえば、高瀬の通う桐青高校はこちらの改札は通らない。
高校の友人と待ち合わせをするなら、確かに反対側の改札にするだろう。

じゃあ、高瀬はどうしてここにいるの。


「お前がいたから、ちょっと来てみた」
「それって、」


照れくさそうに、少しだけ目を背けて。それでも、一瞬あとにはちゃんと私をまっすぐ見据えた。
お前がいたから。私がいたから。だから、高瀬は来てくれた。
その、意味は? どこまで深読みしてもいいの。
さっきからすごくすごく大きく心臓が鳴っている。どくんどくんって。ねえ、こんな音、聴こえてないよね?

目の前の、垂れた瞳が、閉じた唇が、薄く開かれた。
けど、その前に。私は高瀬から視線を逸らした。わざとらしいくらいに、はっきりと。斜め下の、タイル張りの床を見る。
高瀬の存在ばかり意識してしまって、全然落ち着かない。

無駄なプライドを取り払って、素直になれたなら。
少しくらいは、落ち着けるのかしら。


「………次、いつ会えるの」


そっけない、女の子にしてはつっけんどんな言葉しか言えなかった。
高瀬の顔を見るのが怖くて、どんな反応をしているのか見られなくて。
俯いたまま。返事を待った。


「会ってくれんの?」


その言葉が、少し明るく聴こえて。
私は、思わず顔を上げて、高瀬の顔をじっと見つめてしまった。
だって。断られると、思ってたから。


「きっ、聞いてみただけよ。用事がなくて、その、暇で、相当、あれだったら…、あ、っ会ってもいいかな、って、くらいの」


返した言葉はそんな、落ち着かない、しどろもどろな言葉だった。
強がって嘘ついたのはまるわかりで、本当の気持ちは全部伝わっているんだろうって感じの。そんな、そんな、情けない、ことば。


「メールすっから」


だから、その言葉には、すごく、舞い上がった。


「う うん」
「メアド、変えてないよな?」
「か、変えてないわよ。高瀬こそ、変えてないでしょうね」
「変えてねーよ。変えたら連絡するし」


中学のまま、メールアドレスも電話番号も、携帯電話すら変えてなかった。
時の止まっていたような、私と高瀬の連絡手段。
それがようやく、時が進みだすような気がした。
カチ、コチ、古びた時計が動き出す。


「じゃぁ、また」

「うん、また」


手を振って、送りだそうとしたけど、高瀬はそこから動かなかった。
少しだけ考え込むように俯いて、それから顔を上げた。


「やり直そうなんて言わねーけど。けど、俺はもう一回と付き合えたら、って思った。いま、すっげえ、そう思ってる」


途切れた線が繋がって、そしてもっと強くしっかりと繋がる。そう思った。
立ち止まっていた私に高瀬は手を伸ばしてくれて、私はもう一歩踏み出そうかどうしようか、すごく、すごく迷った。
だって、私も高瀬をすきだって。いままで気づいてなかったけど、いま、ちゃんと気付けたから。


「…私も、いま、高瀬がすき」


小さな声で、雑音に呑まてしまいそうな声で、そう言った。
高瀬は聴こえたのか、明らかにほっとしたような空気があった。


「昔とは、お互い違うんだからさ。前とは違う付き合い方でいいと思う。今度は長く付き合えたら、いいよな」

「そう、だね」


私は、ようやくここで笑顔になれた。
固まった身体がほぐれて。ふふっと零れた笑みが、緩く高瀬に向けられた。
高瀬も、ゆるく、優しい笑みを浮かべていた。




終わったが、始まる日




(あっ、待ち合わせ大丈夫?)(うわやべえ、そろそろ行かねえと間に合わねえ)(向こうの改札遠いもんね)(おう。じゃあ、また)(うん。またね)




2010.5.8 三笠