思い切り寝て起きたら、既に夕方の7時。別の言い方をすれば、19時。 きっともう、慎吾さんたちは部活を終えて、家に帰っているんだろうなあ。 「お腹すいた…」 ぐう、とお腹が欲求を伝えてきて、ベットから這い出て、キッチンに立つ。 そのとき、ふとさっきまで見ていた夢を思い出した。 いつもどおりの日々だった。 母さんが夕食を作ってくれて、「夕飯出来たわよ」って部屋まで呼びに来て。 リビングに行くと、父さんが既に椅子に座って新聞を読んでいて。 私も椅子に座ると、目の前には白いご飯とお味噌汁とお魚とお茶。それと小皿がいくつも。 当たり前の日々が懐かしくなる日が来るなんて、思ってもいなかった。 それも、こんなにも急に。前触れもなく。 「夢、でしか、会えないなんて…」 むしろ、この世界が。一人きりの世界が、夢じゃないかと疑ってしまう。 唐突に、母も父もいない世界に放り出されて、寂しくないはずがない。 いつも通りに「行ってきます」と言って、家を出てきただけ。 それなのに、どうして別の世界にいるの? なんで「おおきく振りかぶって」のキャラクターのいる世界にいるの? これは私の夢なの?幻想なの? この世界のみんなと出会えるのは確かに嬉しい。 けど、私は。 「おかあ、さん」 呟いた言葉は、誰に聴かれるわけでもなく、すぐに消えていく。 誰にも届かない言葉は、行き場もなく、何も生み出さない。 目に熱が集まる。 痛いくらいに目がじりじりと熱を持って、次第に潤いを増していく。 「おと、う、さん」 ぼろり、とついに涙が零れていった。 ひとつ零れてしまえば、あとは続けざまにぼろぼろと零れていく。 温い水滴が頬を伝い、ぼたぼたとスカートに染みを作っていく。 「うあ、あ、あ、あぅ」 声を抑える必要なんて思いつかなくて。 しゃくり上げて、身体を震わしながら涙を零す。 子供みたいに泣きじゃくって、何年ぶりかもわからないほど、酷く泣いた。 「っひ、っく、 あう、あ…は、っ、うえ、ええん」 会えないのが寂しい。 独りが怖い。 寂しいと怖いがごっちゃになって、なんで泣いているのかわからなかった。 けど、とにかく私は、自分の涙を止める術を知らなかったし、止める理由だって無かった。ここには私一人しかいないのだから。 泣くのを止める理由がないのなら、気が済むまで泣いた方がいい。 悲しいのを全部溜めこんでいられるほど、私はきっと強くない。 「っは、 あ、っひ、っく」 蹲って、膝を抱えて思い切り泣く。 自分の声以外に何の音もない、この静かな部屋は、泣くのに丁度良かった。 と、そのとき。 携帯が軽快な音を立てて私を呼んだ。 こんな状態で電話に出られるとは思わなかったけど、重い身体を引きずってテーブルの上の携帯を手に取る。 「慎吾さん…」 携帯の画面に出た名前は『島崎慎吾』。 よくよく考えたら、この世界では慎吾さん以外に私の携帯のアドレスを知っている人が思い浮かばない。 どうしてこんなタイミングに、と考えてすぐに、明日出かける約束をしていたことを思い出した。 そのうち、着信メロディが止まり、留守番電話に切り替わる。 『あー、明日なんだけど、どうする? お前の好きな時間に迎えに行くけど。これ聞いたらメールでも電話でもいいから、連絡くれよ。じゃあな』 プツリ、と電話の切れる音が聞こえて、それから携帯は静かになった。 すぐにかけ直さなくちゃと思うけど、でも今慎吾さんと話したら、電話越しに泣いてしまいそうで、 弱い部分ばかり見せてしまいそうで、 携帯を握りしめて、また ひとりで、涙を零す。 少しだけ落ち着いて漸く、短いメールを送った。 昼前に迎えに来てもらうよう約束して、酷い顔のまま夕飯を食べ、風呂に入り、そのまますぐに寝てしまった。 「うっわぁ…、酷い顔」 朝早くに目が覚めて、鏡を見た。 なんだか腫れぼったくて、暗い顔。 一晩経って精神的には落ち着いたものの、思い切り泣きじゃくったためか、目は充血して、顔はむくんでいた。 「…今さら行きたくないなんて言えないしなぁ…。どうにかしなきゃ」 急いで顔を洗って、タオルを濡らして目に当てる。 気休め程度でしかないけど、まだ時間はあるしやれることはやっておきたい。 慎吾さんとお出かけができるんだから。憧れたあの人の隣を歩けるのだから。 せめてみっともない格好じゃなくて、ちゃんとした格好であの人と一緒にいたい。 「しっかりしなきゃ。がんばんなきゃ」 自分にそうやって言い聞かせて、急いで家を出る支度をする。 朝食を食べ、歯磨きをして、クローゼットから服を選ぶ。 何度も着替えて、一番しっくりくる組み合わせを考えて、準備が出来た頃にはベッドの上には軽く二桁を超える量の洋服が散らばっていた。 それを全て片付けた頃、部屋のチャイムが鳴った。 急いで玄関へ向かい、ドアを開ける。 「よ、おはよ」 「慎吾さん。おはようございます!」 空元気でもいいから元気よく見せようと思って、無理やり笑顔を作って慎吾さんへと向けてみる。 その瞬間、少しだけ慎吾さんは怪訝そうな顔をしたから、私はどうにか誤魔化さないとと思って、声を出す。 「あ、すぐ出られるんで、ちょっと待っていてくれますか?」 「ん、ああ…。じゃあ、下にいるからすぐ来いよ」 「はい!」 鞄を持って、鍵を持って。 さて、前を見て、歩きださなきゃいけないのです。 元の世界がどんなに恋しくても、今がどんなに辛くてさびしくて泣きだしそうでも。 私が今いる世界は此処なんだから。 2010.11.22 三笠 |