皆さまが素敵なバレンタインを過ごせますように
恋人だったり片想いの相手だったり友人だったりお世話になった人だったり。
バレンタインデーっていうのはいろんな目的でいろんな考えが交錯して。
男も女もそわそわして落ち着かない、そんな日だって知っていた。
恋してなかった頃は、友達に親に、いろんな人にチョコを配ってた。
渡すことに気兼ねなんてしなかった。だって、ただチョコを配るだけの日だって思ってたから。
それなのに、今年はなんか違う。
バレンタインって言葉に過剰反応。渡そうかどうしようかって、ただそれだけにも右往左往。迷って迷って迷って、何度も練習して、それでようやく完成したバレンタインチョコ。

貰ってもらえるかなって、いつもは気にしないことも気になった。


「下駄箱か机の中、が、たぶん王道」


直接渡す勇気もなかった。なんとなく手にとってもらえればそれで良かった。
去年までは男子に渡すなんて苦でもなかったのに。(むしろ欲しい人は勝手に持って行っていいよ状態だったのに)
いつもとは違うことばかり。ああもう、これが『恋』ってやつなのかな。
悔しいけど、彼のことばっかり考えて、もうじっとしていられない。私、彼が好きなんだって、実感してる。どきどきして緊張して落ち着かなくて。
まだ教室には誰もいないであろう時間に学校に来て、そっと彼の靴箱の前に立った。
鞄から、深夜まで必死で作ってラッピングした手作りチョコレートを取り出す。
靴箱の蓋を上げて中に入れようとしたとき、


「あっれー、センパイ、そこで何してんすかー?」


能天気な声が、聞こえた。
反射的に靴箱を元通りにして、手に持っていたチョコを後ろ手に隠して、振り返った。動悸がする。もしかして今の見られたんじゃないのって、特別悪いことをしていたわけでもないのに緊張する。
桐青高校野球部1年、仲沢利央、くん。
部活の途中なのか、野球部のユニフォームを着ている。


「り、利央くんこそ。今、部活中?」
「そーなんですけど、俺、今保健室行ってきたとこなんですよォ!見てくださいよ!膝擦り剥いちゃって」
「うわ、痛そ…。大丈夫?」


着ていた練習着を膝まで捲って怪我の痕を見せてくる。
既に治療されているから包帯の白さが見えて、でもその範囲の広さに絶句する。多分スライディングとかして擦れたんだろうなあ、って予測してみたけど、正解は分からない。とにかく、痛そう。(あれ、でもユニフォーム着てれば怪我しないよ、ね…?もしかして練習中の怪我じゃないとか…うーん…)


「…ちなみに、センパイ。そこって準サンの靴箱ですよねェ。もしかして、バレンタインのチョコ?」
「えっ、…な、なんのこと?」


とぼけた振りしても、多分利央くんにはバレてる。裏返った声に、怪しい行動も見られてるんだから、当然といえば当然かもしれないけど。
にやにやと顔を緩めてこっちを見つめてくる利央くんがなんだか恨めしい。
このまま否定し続けたって、ボロが出るのは必至。とはいえ、本当のことを言うには情けなさ過ぎる。どうしよう、か。


「直接渡せばいいじゃないですかー。センパイ、準サンと仲いいんでしょ?」
「そ、それが出来ないから靴箱なんだよ!」
「え、なんでできないんすか」

「それは、その…、高瀬、たくさんチョコもらうじゃん…」


そう言っても、利央くんは首を傾げて要領を得ないみたいで。
恥はかき捨て、と頭の中で言い聞かせながら、言い訳じみたことを説明した。ああもう、穴があったら入りたい。


「直接渡して突っ返されたら立ち直れる気がしないし」
「さすがの準サンも知り合いのチョコは突っ返さないと思いますよォ」
「や、それでもさ!あれじゃん、バレンタインってさ、なんかこう、そういう意味も持ってるわけでさ!そっちを意識しちゃうとどうにも直接渡しづらいっていうかさ」
「義理だって言って渡せば?」
「他の人に作ってきてないのに、高瀬にだけ義理チョコ? …おかしいじゃん」


友達との交換には持ってきてるけど、と言うと、利央くんは笑顔で「じゃあ、俺の分あるんすか!」って言ってきたから、思わず「いや、無い」と即答してしまった。
利央くんはふくれてしまったけど、私としては高瀬以外の男子のために作るなんてありえないわけで。…ああもう、ほんと経験値足りない。だれかいい渡し方教えてください。ちょっとほんと…この後輩どうしたらいいの。タイミング悪いよ。


「おい、利央!練習終わってないんだから早く戻ってこいって監督が―――って、?」
「うわ。高瀬」


駆け足でやってきたのは高瀬で。どくん、と胸が熱く高鳴った。
ああでも今会いたくなかったかもしれない。でも会えて嬉しいかもしれない。ああもうどっちなの。わかんない混乱してる。


「準サン!丁度いいところに!」
「は? 利央、おま、ちょっと待てって」


利央くんは、現れた高瀬と逆に運動場の方に走って行って。
でも高瀬は私がいるからなのかすぐに追いかけられず、ふとこっちに視線を巡らせた。部活中で急いでるはずなのにいいのかなあ、なんて思ったけど、やっぱり会えたのは嬉しい。ああもう、私今日おかしいや。


「悪ィ、あいつ、なんか変なこと言ってた?」
「! だ、大丈夫…。それより部活中でしょ?急がなくてもいいの?」
「や、急ぐけど…。…さ、もしかしてソレ、誰かに渡すの?」
「えっ」


そういえばさっき靴箱に入れそこなったチョコはまだ私の手の中で。
背中に隠していたはずのそれはいつのまにか普通に身体の横にあって。
見つかった、って思ったら、もう最高潮まで熱くなっていたと思っていた顔が、さらにまた熱くなった。限界が、わからない。


「ええええと、その、これは、ええっと」
「今日バレンタインだもんな。もしかして邪魔した?」
「い、いやその、邪魔とかじゃない、けど、その」
「ごめんな。…俺が言うことじゃないけど、ええと、がんばれよ」


誤解された、と分かるまで、1秒もかからなかった。
じゃあ、と言って立ち去ろうとする高瀬を引き止めて、視線が交わる前にそのチョコを差し出した。
直接なんて渡せないと思っていたのに。追い詰められたら人間なんでもできるのね、なんて。頭のどこか一部だけが冷静にそんなことを考えた。
私が他の誰かにチョコを渡すって誤解されるよりは、高瀬に直接渡したほうがダメージも少ない、はず。
高瀬は、えっ、と呟いてチョコと私を交互に見た。


「え、、これって」
「も、もらってもらえたら、嬉しい…かも。これ、高瀬に渡そうと思って、昨日、作ったんだけど」


手が震える。マトモに顔が見られない。
過ぎたのはきっと数秒程度。それが何十秒にも引き延ばされて感じた。
高瀬の、呆けたような声が聴こえて、顔を上げた。


「まじで…?」
「え、うん…一応、マジ」
「…うわ、まじか。やべ、もらえると思ってなかった」


サンキュな、って高瀬は呟いて、チョコをまじまじと見つめた。
包装は深夜に何度もやり直したものだから、それなりにはなってるはずだけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。


「あ、あんまり見ないでよねっ、包装ってあんまりしたことないから難しくって」
「や、ちゃんとできてる。あとで写メって利央に自慢してやろ」
「えええええ、自慢にならないよー。…ってか部活!大丈夫?」
「あ、やべ。俺投球練習の途中だっけ」


戻ろうと運動場の方を一度見る高瀬の手から、そっとチョコを奪う。
練習に戻るのにチョコを持っていては邪魔だろうし。他の部員に茶化されるのも嫌だろうなあ、なんて。そう思ったから。
呆けたようにこちらを見返す高瀬に、思わずくすりと笑ってしまった。


「練習するのに邪魔でしょ。机の中に入れとくから」
「お、そっか。じゃあ頼む」


そう言って、高瀬は軽く手を上げて、駆け出そうとした。ううん、正確には2、3歩足を進めて、止めた。
なにか思い出したように、振り返って口を開いた。


「ホワイトデー、楽しみにしといて」
「えっ、いいよ別に。私が勝手に渡したかっただけだし」
「じゃあ、俺が勝手に渡したいだけ。それならいいだろ」
「う、…うん。じゃあ、そういうことで。部活がんばってね」
「おー、サンキュ」


じゃ、と言い合って、高瀬は駆け足で運動場の方へ去っていった。
背中が見えなくなった頃には、緊張とか焦りとか、そういうものから一気に解放されて気が抜けた。
ふう、と吐き出した呼吸は白くなって消えた。

じわじわと競りあがってくる高揚感。
チョコを渡せただけでこんなに嬉しいものなんだ、って思った。
告白なんてまだ全然考えられないけど、いつか出来たらいいなって。
いつかもっと仲良くなって、もっともっと高瀬のことが好きになって、今の関係に耐え切れなくなったら。そしたら告白しよう。そう思った。思えるようになった。

ふふ、と零れる笑みは高瀬のおかげ。
今日は楽しく過ごせそうだ。




告白なんてできないけど、
(せめてチョコだけは渡したいのです)




---その後、1時間目開始直後---
(zzz…)
(…おい…。朝から爆睡ってお前、なんのために学校来たんだ…)[バシッと教科書で頭を叩く。その衝撃で起床]
(…えっ、あ、すみません、先生…っ(だって渡せたって思ったら気が抜けちゃって…!昨日殆ど眠れなかったんだもん…っ))
(ふっ、ふは…っくく…っ)
(おい高瀬ー。お前もよく寝てるんだから、笑えるような立場じゃないだろうがー)
(や、今は寝てないんで!)
(じゃあ今日一日寝んなよ)
(無茶振りっすよ)
(せめてそこは「がんばります」くらいは言えないのか…)



2011.2.13 三笠