がたんごとんと振動が伝わる。既に夜の8時。仕事疲れの私は、電車の中でい
つの間にか眠ってしまったようだ。
ふと、頭に触れる温もりに気づく。
あれ、と思った瞬間、一気に力を入れて頭を起こした。急いでその温もりの主
に顔を向ける。顔が熱い。
「ご、ごめんなさい、」
「いえ、大丈夫ですよ」
くすりと笑うその顔。ああ私は一体何分くらいこうしていたんだろう。
視界に入る窓の外は真っ暗で、いまどの駅へ向かっているのか、まったくもっ
て予測できない。
そんな中、横に座った彼は続けて口を開いた。
「こんなにも可愛い寝顔を見られるなんて、むしろ幸運だと思っていたところ
です」
さらりと言ったその台詞に思わず赤面したのは隠すまでもなくバレバレだ。
ど、どうも、と小さく返事をして俯いた。なんて格好いい人なんだろう。艶の
ある黒い髪がまた美しい。
甲高い鉄の音が響き、電車が一段と大きく揺れた。摩擦音が最後に響いて、動
きが止まる。駅名を言う車掌さんの声が聴こえて、私は立ち上がった。
「おや、此処ですか?」
「あ、はい」
「では、私も降りるとしましょうか」
そう言って彼は電車を降りた。あれ、と思う時間もなくドアは閉まりそうにな
ったから私も急いで電車を降りた。
「あ、あの、もしかして…」
「え?ああ、大丈夫です。この駅からでも帰れますから」
数分しか変わりませんので、という彼。逆方向の電車は暫く来ない。
慌ててもう一度深く頭を下げた。ああもう、初対面の方になんて申し訳ない…
!
「本当にごめんなさい…っ」
「いえいえ、そんな謝ることじゃないですよ。私の意思でやったことですから
」
「な、なにかお詫びを…」
そう言って鞄の中を探すが、なにも見当たらない。駅のホームを見ても、小さ
な寂れたお店がひとつだけ。
彼は、一瞬きょとんとして、くすくすと笑った。
「そんなに気を遣わなくて大丈夫ですよ」
「いえ…、でもそんな…」
「でも貴方がそんなに気を揉んでいらっしゃるなら。もしよろしければ、また
今度お会いしていただけませんかね」
「え…?」
いまひとつ理解ができなくて、思考が停止する。とても良い方なのはわかった
けど、彼の言う通りにハイハイついていくのはなんだか気が引けてしまう。こ
のご時世、容易に人を信じられない。
「私は、大体いつもこの時間の電車に乗っていますから、」
彼が繋げた言葉に、顔を上げた。
私もよくこの時間な電車に乗っている。定刻に仕事を終えられて、真っ直ぐ帰
ろうとすれば、自然とこの時間になる。
「もし気が向きましたら、またどうぞ。肩でも膝でも使ってください」
「え、え…?」
またこの電車で会いましょう、と言うことなのだろうか。それなら変に気構え
なくて良い。またこの車両に乗ればいいだけなのだから。もしかしたら、そう
いう気遣いもあるのかもしれない。やはり彼は素敵だ。
「ではまた」
「っ、は、はい」
立ち去る背中に向かってありがとうございました、と言ったら、彼は軽く振り
向いて、にこりと笑って会釈した。
高鳴る心臓と正反対に、誰もいない静かなホーム。
既に電車は音を立てて立ち去ってしまった。
どくんどくんと暴れる心臓は、まだまだ落ち着きそうにない。
がたん・ごとん・どきん
2010.10.16 三笠