「じゃ、先に夕飯行ってるな」 「うん。ありがとう」 ドアの向こうから聞こえた声がフレッドとのものだったから、急いで俺は飛び起きた。 コンコン、とドアがノックされた。 男子寮では殆ど聞かない音。そのまま入ってきてもいいのに、は几帳面にもドアの外で待っているようだ。 俺は少し躊躇いながらも、ドアを開けた。 そこには、少し久しぶりに見るが居心地悪そうに立っていた。 「今、俺一人だけど、危機感とかある?」 「ここで危機感が必要な人だったら、もう、その…、キス、してるとおもう」 「…それもそうか。入る?」 「うん」 キスのところは俺にもはっきりと聞こえないくらいの声量だった。 どうやら聞き耳を立てている寮生がいるようで、を部屋に入れてからも声には気をつけないとな、と思った。簡単な防音術は仕掛けてあるけど、油断はできない。 ドアを閉めて、を自分の椅子に座らせる。 俺はフレッドの椅子に座って、なんとなく向かい合わせになった。 「散らかってるだろ」 「えー…っと、」 「いいよ本当のことだから」 ベッドの上も回りも机の上もクローゼットも、物で溢れて何がどこにあるのかわからないくらい。 言葉を濁したを見て、くつくつと笑った。 「危ないから、よくわかんないものは触らないようにな」 「えっ、なにか埋まってるの? 花火とか?」 「花火程度だったらよかったんだけど」 「うわあ…、一気にこの部屋がこわく思えてきた…」 はきょろきょろと周りを見渡した。 見た目から危ないものはないから、余計怖く思えるかもしれない。 爆発するようなものはないけど、触れたら膨らんだり色が変わったり、そういうものだったらいくらでもある。 「で、今日はどうしたんだ? 此処まで来るなんて初めてだろ」 「んんと、フレッドから聞いたんだけど、ジョージが元気ないって。…それって、私の所為かな、とか、いろいろ思って」 ごめんね、とは言った。 のせいじゃない、と言おうとした。 だって、明らかに俺が急いた所為でを怖がらせて、それをの所為にするほど俺はガキじゃないつもりだった。 どう説明するかとか俺も謝らないとなとか考えていたのに、が腰を上げたから思考が止まった。 まさか、もう帰るつもりか。 「う、動かないでね」 「は?」 思わず立ち上がろうかとしていたところで、動くなと言われて戸惑う。 浮きかけていた腰を下ろして、どうしたのか問いただそうかと口を開いたところで、鼻が甘いにおいを嗅ぎ取った。 なんのにおいかと気づくより早く、額に柔らかな感触が触れた。 それはほんの一瞬で、それよりも肩に触れた小さな手の感覚のほうがはっきりとしていて、そして目の前のが真っ赤な顔をしてドアのほうへと逃げていくのを慌てて追いかけた。 「こ、れで、せ、せいいっぱい、だから」 「え、いやちょっと待って」 「ややや、むり、ほんとあの、む むり」 「なにもしないからちょっと待ってって。今のって、どういう、」 意味、と聞くのとほぼ同時にの腕を掴んだ。 耳まで赤い顔と目が合って、そしてすぐに逸らされた。 「いつ、とかは聞かないし言わせはしないけどさ、…俺が嫌いってわけじゃないんだよな…?」 キスを拒まれてずっと考えていたのはつまりキスがどうこうではなく俺がどうこうなんじゃないかっていう方向だ。 でも、は大きく横に首を振った。NO、の意思表示だった。 「そっそれは、ない。ただ、その…、こ、こういう、空気が、に、苦手、で」 「………は?」 「ど、どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃうの! し、心臓が、ばくはつしそうで…、つい、その…」 逃げ出したくなっちゃう。真っ赤になって縮こまって、はそう言った。 と一緒にいると、いつだって心臓がうるさくて、触れる瞬間の幸福と緊張は確かにこわいくらいだ。の気持ちがわからないでもない。 「あー…、なんだ。理解した。そーいうことか」 ふうと息をつきながら、の背中に手を回した。 なるべく優しく背中をさすりながら抱きしめる。 「優しくするからって口ではいくらでも言えるけど、そういう問題じゃないんだよな」 小さくうなずいたのを確認して、それからまた口を開く。 初めての感情に戸惑いっぱなしののことだ。 俺を疑うとかはないだろうけど、俺に余裕が少ないのは目に見えてわかる。その状態で流れに任すのもこわいだろう。 キスでもなんでも、先に進むのは準備が必要だ。主に、こころのほうの。 「一方通行じゃ意味がないから待つよ。準備ができたら言ってくれたら嬉しいんだけど」 「う…、うん…。なるべく、その…早く、するね」 「了解。―――じゃ、そろそろ夕飯行くか」 時計の針はそろそろ夕飯の時間を指そうとしている。 お返しのように、腕の中のの髪にキスをひとつ落として、それから抱きしめていた腕を解いた。 「…あの、」 「ん?」 「ごめんね、それと…、ありがとう」 申し訳なさそうにこちらを見上げるを見ながら、ぎこちなく笑みを作った。 と二人きりで、しかもベッドもある部屋で、赤い顔で上目遣いとかどう考えても心臓に悪い。こっちは健康な思春期男子で、目の前にいるのは大好きな彼女。 脳内だったらどこまでだって進んでしまって、現実では抑えるのに必死。 嫌われたくないからハグだけで済ましているけど、ああもうどのくらいかかるんだろうか。抑えた分の反動はどのくらいになるか想像できない。 「…本当に謝るのは俺のほうなんだけどな」 「えっ、なんで? どう考えてもわたしのほうが悪いのに」 「んー…、いや、てかどっちも悪くない気がする。は完全に男泣かせだけど」 「え、え?」 「いや、こっちの話。俺の理性が飛ばないうちにさっさと部屋出たほうがいい」 真っ赤なの手を引いて、ドアの外を出る。 すると、二桁いくかいかないかくらいの人数がドアの外で耳を澄ましているのにぶつかった。 そいつらは、あからさまにやばいという顔をして逃げていく。 「防音魔法くらいしてるに決まってるのにな」 「い、いつしたの?」 「部屋で好き勝手したいから、防音の魔法があるってわかったその日にかけた。いつだっけな…、もう1年以上経つか」 そう言ったら、はくすくすと笑った。 久しぶりに笑顔を見た気がした。 2012.1.4 三笠 |