湖の近くで座り込んでいるジニーを見つけて、そっと近づいた。手には古めかしいノート。それに、羽ペン。宿題か、それとも、日記…? 「ジニー、なにをしているの?」 「……」 ジニーは、手を止めて顔を上げた。 そうしたら、ノートにインクが吸い込まれるように、先程まで書いていた文字が消え去った。間違いじゃない。魔法がかかっている。 「……それは、魔法がかかっているように見えたけれど、」 「……そうね」 「どんな魔法かわかっている?ただ文字が消えるだけならなんの問題もないけれど、もし、なにか違う魔法がかかっていたら、」 「そんなことないわ。だって、わたしの荷物にはいってたんだもの」 「荷物に?」 「そうよ!あの日、みんなでダイアゴン横丁に行って、買い物をしたでしょう?その荷物に入ってたの」 ハリーとウィーズリー一家がダイアゴン横丁に来た日。譲れるものは私から譲った。足りないものは中古屋さんや、新しく買い足したはず。おかしなものが紛れ込むとしたら、中古屋さんだろうか。あの日、ダイアゴン横丁はとてもとても混雑していたから、おかしなものが紛れてしまう可能性は否定できない。 まさか、故意ではないだろうけれど。 「それに、悪いことなんてないわ。だって、この日記帳は、トムは、とってもいい人なんだもの。わたしの悩みをじっくり聞いてくれる。助けてくれるの。なにひとつ害なんてないわ」 「トム?日記帳の名前?」 「トムは記憶よ。過去に存在した人の記憶」 そう言ってたの、とジニーは言った。わたしはとても疑わしいと思って、日記帳に触れようとするが、ジニーは触らせてはくれなかった。 「ダメよ。には必要ないじゃない!家は裕福だし友達に彼氏もいるし、勉強の心配は要らないし!わたしなんて悩みばっかりだわ!折角憧れのホグワーツに来て、グリフィンドールに入ったのに。ハリーとはなかなか話せない、兄さんたちは私をからかうばっかり。お下がりの教科書や制服だって、ほんとは嫌なの!」 ジニーが吐き出すようにそんなことを口にした。まさかジニーがそんなことを思っていたなんて思ってなかった。1年生は確かに大変で、慣れなくて苦しんだけど、まさかジニーもだなんて。 少し、ほんの少しだけ、ジニーに近づいた気がした。美人で明るくて、ジョージの妹で、あんなに暖かい家族と一緒のジニーは、わたしにとって少し眩しいと思っていた。 「わたし、1年生のときは家に帰りたくて帰りたくてたまらなかったわ」 そう呟くと、ジニーはわたしの顔を見た。驚いているけど、一人で家を出て、帰りたいとまったく思わない人のほうが珍しいとおもう。みんな、そんなに強い人ばかりじゃない。 「わたし、箒に乗れなかったの。お情けで可をもらったわ。それに夜のホグワーツは歩くだけで怖くて、しかも道を覚えにくくて迷ってばかり。でも知らない人もこわいから、誰かに聞くこともできなくて。どうしようもないよね。ほんと必死だった」 「友達だって、いっつも同室の子の後ろをついていくばかりで、遠慮ばっかりしてた。おどおどしてばかりで、向こうも楽しくなかったとおもう」 「ちなみに、ジョージと話すようになったのは去年からよ。それまでは違う世界の人だと思ってたし、ジョージは有名だけどわたしは地味だからそれまで存在すら知られてなかったみたい」 「家は裕福かって言われると、どうだろうな。両親が亡くなって、遺産を残してくれたから、その分余裕があるだけだとおもう。わたしからすれば、家族がたくさんいるジニーのほうが羨ましい」 自分の情けない部分をひとつひとつ晒していく。まだまだたくさんある。羨ましいなんて言ってもらえる自分じゃない。 「わたしはジニーのほうが羨ましいよ。高い鼻もぱっちりした目も、わたしにはないものだから」 「…そんなふうに思ってたの…?」 うん、と頷いた。 「みんなのこと、自分より凄いっておもう?」 「おもう…」 「みんな、そう思ってるよ。思ったことない人なんて、………あ、ジョージとフレッドは思ったことないかも。でもたぶん、他の人はきっと思ったことあるよ」 隣の芝は青い、なんて東洋の諺を聞いたことがあるけれど、きっとそういうことだ。誰だって自分より他の人が上回っているように見えてしまう。 劣等感、なんて言葉で表してみると、なんてくだらない小さなことなんだろう。でも仕方ないんだとおもう。わたしはそういう小さな世界で生きてるんだから。 「少しは、安心した? わたしも気づいたのは結構最近だから偉そうなことは言えないんだけど、…なんていうのかな、たぶん得意なこととか苦手なこととかはみんな違ってて、一人じゃ完璧になれないようになってるんだとおもう」 「そうなの…?」 「うん。完璧な人なんていないんだとおもう。人気があって何でもできるように見えたとしても、、、好きな子に告白できないとか、そういう情けない部分があるんだとおもうよ」 「実は猫が怖いとか?」 「ホグワーツに入るまでママと一緒に眠っていたとか」 「それは情けないわ!…じゃあ、ウーン、度胸がなくて箒に乗れないとか」 「そ、それはわたしもそうだから頷きにくいわ…」 くすくすとジニーは笑った。それを見て、なんだか憑き物が落ちたように見えたから、わたしはほっとした。 「誰かに話すと、楽になるでしょ?」 うん、とジニーは小さく頷いた。 もう大丈夫かもしれない、なんて楽観的かな。 「お兄さんたちもみんな心配してたよ。励まし方がとんでもなく下手だったけど」 「うん、いっつもそうなの。自分たちが面白いことは誰にとっても面白いって思ってるの。普段は面白いけど、落ち込んでるときはちょっとね」 確かにね、なんてジョージとフレッドには悪いけれど頷いてしまう。落ち込んでる女の子を無理矢理笑わせようなんて、2人らしいけれど、女心がまったくわかってないとおもう。 妹だからかもしれないけれど、でも、もうちょっといい方法あっただろうに。 「……今日のお礼に、教えてあげる」 「?」 ジニーが、少しいたずらっ子みたいな顔をして小さな声で話し始めた。 「ジョージってば、ほんとにのこと好きなの。去年、がプレゼントした黒い手袋あるでしょ? あれ、どこかにひっかけちゃったのか、ほつれちゃったんだって。直せないかってママにこっそり手紙出したのよ。それを聞いて家族みんな大笑い。兄弟みんなにバレて、それでジョージってば家に帰りたくないのよ。夏休みも家に帰らない方法ないかって探すくらい」 「えっ?」 そういえば、この間会ったとき手袋をしていなかった。それまでは、いつもあの手袋をしていたから少し不思議に思っていたんだっけ。でも、たまたまだろうなって納得してた。……というより、そのあとのことが衝撃的過ぎて、なにも気にしていなかった。そうえいばあれ以来していない。き、きす、しちゃたんだって、思い出すだけで、ひどく、ひどく、恥ずかしい。 「はチャーリーと会ったんでしょ? ビルだけ会ったことがないから気になって、写真送ってくれって手紙が来たわ」 「え、あ、そ、そうなの……?」 「そうよ。でも、誰も送ってないの。だって、ジョージすら持ってないんだもの。ねえ、きっとジョージってば欲しいって思ってるわよ」 思えば、写真なんて撮ったことなかった。 カメラはあまり安くないから、持っていないし。 「写真、かあ」 「ほしい?」 「…うん」 「なんで今まで撮らなかったの?」 「うーん、カメラを持っていないし。ホグワーツで写真を撮る機会なんてあんまりないし。それに、いつも寮で会えるから、必要なかったっていうか、」 「お休みのときは欲しくないの?」 そう言われて首を傾げた。 長いお休みは夏休みくらい。でも前の夏休みは付き合ったばかりで一緒にいる機会は多かった。だからあまり寂しいとは思わなかったなあなんて思った。 「え、だって、夏休みは会いに行ったり来たりしたし、クリスマスは短いし、イースターだって短いから、寂しくなるほど離れないもの」 「えー、そんなものなのかなあ。わたしは好きな人の写真ならいくらでもほしいけどなあ」 「好きな人がいるの?」 小さく頷いたジニーは女の子の顔をしていて。なんだかすごく微笑ましかった。 「うまくいくといいね」 「…うん」 2015.06.28 三笠 |