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ひとつ、深く息をした。
目の前の、その端整な顔立ちを睨みつける。今危険なのは、私じゃない。ジニーと、それとバジリスクと戦っているハリーだ。
ハリーは、今まさにバジリスクと戦っている。どこからかやってきた、ダンブルドア先生の飼っている不死鳥から、組分け帽子を受け取った。不死鳥は、バジリスクの目をつぶしてくれた。これで、石化の心配はない。そしてハリーは、帽子からグリフィンドールの剣を取り出した。それを使って、今バジリスクと戦闘中。「ジニーを助けて」そう言い残し、ハリーは自らバジリスクに向かっていった。

トム・リドルの話によると、日記帳は例のあの人の過去の記憶を閉じこめたものだった。あくまで記憶だから、今はまだ本物のような魔力なんて持っていない。しかし、このままジニーのすべてがトム・リドルに注ぎ込まれてしまうと、ジニーが死に、トム・リドルが生き返ってしまう。トム・リドルが存在できるのは日記帳という媒体があるから。だから、日記帳を壊せれば、と思うが、単に破いたり燃やしても傷一つつかない。
トム・リドルは私の行動を鼻で笑った。


「そんなことをしても、無駄だ。その程度の魔法では僕の存在を消すことはできない」
「その程度の、ってことは、もっと高度な魔法だったら可能ってことね」
「君に出来るのか? もう図書館に戻って調べる時間も、練習する時間もないんだぞ?」
「わかってる。でも、今まで習ったすべては私の頭の中に入ってる。たとえば、そう、グリフィンドールの剣だったら、もしくは、バジリスクの強い毒性を持つ歯に噛まれたら?これを引き裂けるんじゃないの?」
「だが今此処にはない。剣はハリー・ポッターがあの古びた帽子から引き出したが、今バジリスクとの戦いに使っている。ポッターが勝つ見込みなどない。ポッターが死んだ後、君が剣や歯だけを引っ張りだして、僕に突き立てるか? その頃には、もうジニーは死んで、僕は生き返ってるかもしれないぞ」


トム・リドルの言うとおりだった。今、この場にないものは使えない。許されざる魔法でも使えば良いのだろうか。しかし、あれを使える人間なんて、ごくわずか。しかも、名前通り、使ってはいけない魔法。使ったらアズカバン行き確定。でも、ジニーが死なないのなら、と迷う。


「そんなことを考えるより、僕と話をしないか。ミス・。僕は君を知っている。君の能力は、僕も欲しいと思っていたんだ」


わたしは、いつ、名前を名乗ったっけ。。家の名前を呼ばれて、ぞわりと寒気が走った。


「君の能力は、うまく使えば世界をも滅ぼすこともできるんじゃないか。最も能力の高かった君の祖先は、ドラゴンすらも操ったと聞いたことがある。君だって、その素質はある。試しに、バジリスクと心を通わせてみたらどうだ? もし君が僕の下に来るのなら、ジニーの命を助けてやったっていい」


まるで、政治家のスピーチを聞いているみたいだった。だけど、内容は闇の魔術に偏っている。


「言われたことはないか? 君の内には、獣の血が混ざっている。だから、人間ではない。人間もどき、だって」
「そ、れは」


時折呼ばれる、見下された言い方。それに、時折魔法省から来る依頼。魔法生物の専門家なんて言い方はいいけれど、同じ人間として見られていないと感じることは度々あった。
気のせいだって思っていたけれど、クリスマスにおじいちゃんから自分の血の話をされた。問題ないって、言ってもらえた。だけど、やはり一部の人からは冷たい視線を向けられることはある。それが悲しくないわけではなかった。


「僕がこの世界を支配したら、そんなこと言う奴は消してやろう。君はその血を誇っていい。その血はすばらしいことを、どれだけ高度な能力なのかを、この世界のすべての奴らに示せばいい。君には、それができる」


トム・リドルが、硬直してしまった私の耳元で囁いた。「僕の下に下れ。そうすれば、世界は君にひれ伏す」一瞬呼吸すら忘れてしまうほど、困惑と恐怖でいっぱいになってしまった。けれど、どうにか息を吐いて、そして強がりを言った。そんな世界、興味はない。


「お断り、だわ。わたし、あなたが、大嫌い、なの」


ああ、死ぬかもしれない。そう思ったけれど、がんばって目をそらさなかった。トム・リドルはひどい顔をして、「くそったれ」と呟いた。そこへ、大きな音が鳴り響いた。音の方向を見ると、ハリーが、バジリスクに剣を刺していた。しかし、ハリーの腕にもバジリスクの歯が深々と刺さっている。バジリスクは倒れた。しかし、ハリーも壁にもたれかかったまま、動かない。バジリスクの歯には強い毒がある。ふつうの治癒魔法では対処できない。でも、奇跡的にも此処には不死鳥がいる。


「フォークス、ハリーをお願い」


ジニーの隣に寄り添っていた不死鳥は、私の言葉が分かったかのように、すぐにハリーの元へと飛んだ。そして毒が回りきるよりも早く、ハリーの傷口に当たるように涙を流した。自分のすべきことがわかっているかのような、その理解の良さには驚いたけれど、それが不死鳥と言うものなのかもしれない。何度も何度も再生してきて、ダンブルドア先生と過ごすうちに、自分の役割と言うものを理解したのだろう。ハリーの傷口はしゅうしゅうと音を立てて修復した。
私も、日記帳をもってハリーの元へ走った。まだ何も終わっていない。


「おい、それは」
「ハリー、その歯で、日記帳を刺して!」


杖を持っていたトム・リドルは魔法で私の足を狙った。ばちっと音がして左足に痛みが走って転んでしまう。けれど、転ぶ直前、ハリーに向けて日記帳を投げた。――そして、ハリーの行動は早かった。ハリーの腕を突き刺したバジリスクの歯を手に持ち、日記帳に突き刺した。
響く悲鳴。トム・リドルの姿に穴が開き、ハリーは何度も日記帳に歯を突き立てる。そのたび、トム・リドルの姿に穴が開き、そしてその姿は消え去った。最後のうめき声を残して、トム・リドルは跡形もなく消え去った。
ぽたぽたというインクの落ちる音だけが聞こえていた。


「……やった、のか?」


現実味のないような、ハリーの声。
私は、起き上がって自分で治癒魔法をかける。まだ完全に蘇ってはいなかったから、トム・リドルの魔法も弱かった。少し腫れている程度だったから、すぐに治った。
もうバジリスクも、トム・リドルもいない。辺りを見渡して、日記帳が完全に壊れたことを再確認した。

そして、ジニーもすぐに目を覚ました。動揺している様子だったが、異常はないようだ。怪我も後遺症もない。操られていた時間の記憶は無いようだけど、それだけ。


「、よかった」


はあと、深い息を吐いた。ふかふかのベッドに入りたい。それほど、何故だか疲れていた。わたしはなにひとつ戦ってないのに。
ハリーとジニーの擦り傷を、治癒魔法で治して、そして不死鳥によって運んでもらい、秘密の部屋の外へと出た。不死鳥の力は凄く、私とハリー、ロンにジニー、そしてロックハート先生の5人を一度で運んだ。
秘密の部屋を出ると、すぐそこにはダンブルドア先生にマクゴナガル先生、他にもたくさんの先生が集まっていた。それに、ジョージたちのご両親も。モリーさんにアーサーさん。マクゴナガル先生の手には、私が先ほどネズミに託したメモが握りしめられていた。


「まあ、まあ、なんてことでしょう」
「先生、」


さらわれたはずのジニーもいて、マクゴナガル先生は驚きを隠せないようだった。モリーさんとアーサーさんが、ロンとジニーを引き寄せて、強く強く抱きしめた。
マクゴナガル先生は、みんなの顔を順に見て、無事を確認した。無事で良かったと、気丈ないつもの先生からは想像できないほど、震えを押し殺したような声が聞こえて、どれだけ心配してくれたのかと、涙がこぼれそうになった。
ハリーは、なにがあったのかを皆に説明していた。もちろん、ジニーのことは、うまく伏せて。


「あなたは、こんな心配をかける子じゃないって思っていましたわ」
「……わたしも、自分で自分にびっくりです」


マクゴナガル先生に一度ぎゅうと抱きしめられて、そしてダンブルドア先生と目があった。きらきらした瞳が、わたしを見ていた。





2015.12.26 三笠