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その次の日、授業はいつも通り行われたけれど、昨夜のことで皆気分が高揚していて、授業中も噂話ばかりがひそひそと交わされていた。
ウィーズリー兄弟たちは、皆に良かったなとか話を聞かせてくれとか言われていて、私が話しかける隙など無かった。放課後になってもそれは同じで、会話を諦めて外に向かった。寝足りなくて休みたかったが、部屋ではルームメイトが騒いでいたし、談話室も同じ。静かな湖の畔に腰を下ろした。バジリスクに怯えて逃げていた鳥たちも戻ってきていて、穏やかな空間がそこにあった。鳥の声を子守歌にして、芝生の上に寝ころんだ。夏の日照りはお断りだが、日陰は涼しくて気持ちいい。やはりわたしは、すぐに眠ってしまった。


ふと目が覚めると、気温が下がっていて辺りは夕焼け空だった。よく眠れたけれど、少し身体がだるい。まあ、ベッドじゃないから仕方ないけれど。そう思って身体を起こそうとすると、身に覚えのないカーディガンがかけられていた。そして隣に、影。あ、と呟いたけど、声を出したのかわからない。


「おはよ。……と言っても、もう夕方だけど」
「お、おは、よ」
「まさかこんなところで寝てるとは思わなかった。風邪引くよ」


目の前にジョージがいて、驚いて眠気が吹っ飛んだ。
外なのに半袖姿のジョージ。急いで、私に掛けられていたカーディガンをジョージに羽織らせる。夏とはいえ、この時間はやはり肌寒い。
ジョージが体を冷やしてないかは心配だけど、でも寝顔を見られたことのショックも大きい。誰も来ないと思っていたのに。寝癖ついてないかな。鏡持ってないや。あ、湖で顔映るか、そんなことばかり頭をよぎる。


「昨日のこと、お礼言いたくて来てみたんだけど、思いがけず良いもの見られたな」
「え、」
「寝顔見たの初めてだから、正直理性危なかったんだけど」
「わ、忘れて……っ」
「はは、絶対忘れないよ。無防備でかわいすぎ。でも、もう絶対こんなとこで寝ないで。危ないから」


ちょいちょいと手招きされて、そのままジョージにぎゅうと抱きしめられた。なんでだろうと思いつつも、私はジョージの背中に手を伸ばした。


「まずは昨日、ジニーを助けてくれてありがと。悩み相談もしてくれてたってジニーが言ってた。兄弟みんなに言われると思うけど、まず俺から。本当に、ありがとう」
「そ、そんな。わたし、行っただけでなにもできなかった」
「そんなことない。でも、欲を言ったら、俺も連れていってほしかったけどね。一人で危ないことはしないで欲しい。ジニーとロンに話を聞いて卒倒しそうだったよ。君は俺の大事な人なんだから、ちゃんと護らせてほしい」


ごめんなさいと、小さな声で謝った。そうすると、次から気をつけて、なんて言葉が返ってきた。本当に心配されてたんだなあなんて、伝わってくる体温とか、抱きしめられる力の強さとかから感じられて、なんだかこそばゆかった。心配かけて申し訳ないけれど、なんだか、すごく、嬉しかった。


「、それと」
「!」
「……そんなに身構えないでほしいんだけど」


抱きしめられていたのを、少し緩めて、ジョージと目を合わせた。思わず身構えてしまったようで、ジョージは苦笑した。
戸惑っているうちに、ジョージは私の頭に軽くキスをした。驚いてジョージを見上げようとした私を押さえ込んで、頭の次は髪、額、鼻、耳にも同じようにキスをした。されるがままの私だけど、キスをされるたびに真っ赤になって目を閉じてしまった。最後に顔が近づいて、次はどこだろうと身構えたとき、唇に柔らかい感触がして、あ、と思った。うわ、口と口、だ、なんて。ばかな感想しか浮かばなかった。他のところだったら目をつむっていたのに、よりにもよって最後の口は驚いて目を見開いてしまった。口が離れたとき、ジョージはゆっくり目を開けて、そして目が合ってしまった。あ、目を開けてたの、ばれた、かも。


「……目、ちゃんとつむっててよ」
「ご、ごめん、あの、びっくりして」
「やり直そ」
「っえ、」


もう一度唇が重なった。
今度はちゃんと目を閉じた。
少し肌寒いくらいなのに、重なった唇だけは熱い。どきどきする。何度やっても慣れない。気持ちいいようなずっと浸っていたいような、でもどこかへ逃げてしまいたいようなそんなどっちつかずな気持ちでいっぱいいっぱいだった。


「あのさ」
「なに?」
「テスト無くなったし、休暇前にホグズミードに行けると思うし、ちょっとは俺に構ってもらいたいんだけど」
「うん?」


構ってもらいたい、という言い方に違和感。冬には初めてキスをして、それからも2人きりの時に時折キスやハグをすることがあった。やはりまだ緊張するけれど、少しは慣れたと思ってる。それくらい一緒に居たと思っていたんだが、ジョージは足りなかったんだろうか。


「バレンタインぐらいからずっとジニーのことばっかり考えてただろ」
「え、あ、そ、それは」
「まあ、俺とフレッドでどうにか出来そうもなかったし、しょうがないとは思ってたけど。……なんていうか、俺とのことをどこまで考えてるのか分かんないけど、さ」


バレンタインのことを思い返すと、なんだか申し訳なさでいっぱいになった。ロックハート先生がイベントを催さなかったら忘れていたかもしれない。直前になってアリスとアンジーに声を掛けられて、ようやくお菓子作りに取り掛かった。ジョージはフレッドと一緒にバレンタインのイベントを面白がっていたように見えたけど、そうじゃなかったのだろうか。実は私が心ここにあらずのような状態だったのを気にしていたんだろうか。


「来年、OWLだろ」
「! そ、そうだね……」
「俺はそんなんどーでもいいけど、はそうじゃないって知ってるから。俺は邪魔しないようにしたいけど、時々は構ってもらえないと拗ねるよ」
「うう、面目ない……」
「まあ、そしたら無理矢理の顔をこっちに向けさせるけどね」


思わず笑ってしまった。拗ねるとか、無理やり顔を向けさせるとか、少し強引で、なんだか可愛いなって思った。ジョージは時折びっくりするほど甘えたなところがある。兄弟の中ではそうは見せないんだと思う。ロンやジニーや家族のことをちゃんと考えて、お兄ちゃんをしている。そういうの全部取っ払って私の前で甘えてくれるのはすごく、すごく嬉しい。では私はどうなの、と思うと、甘えるのは苦手だし、指摘されたみたいに考え事があるとそちらにばかり集中してしまう。どうしよう、と思ったとき、以前ジニーと話したことを思い出した。


「あのね、」
「うん?」
「もし、もしもジョージが良かったら、今度一緒に写真撮らない? もうすぐ夏休みだし、会えなくなっちゃうでしょ? だから、あの、」
「すぐにあいつからカメラ借りてくるから待ってて。ほらあの、1年のハリーファン」


そう言って、ジョージはすぐに立ち上がった。思い立ったら即行動なのはジョージらしいといえば、ジョージらしいけれど、そんなに急がなくてもいいじゃないか。慌てて服の裾を掴んで引き止めた。今はダメだ。さっきまで居眠りしてたから髪はぐちゃぐちゃだし、服も皴になってしまってる。


「今度だって! そんな急がなくても逃げないよ」
「でも、の気が変わるかもしれないだろ」
「変わんないよ! だって、ずっと欲しいって思ってたんだよ!? そんな1日2日じゃ……って、なに、その顔」
「いや……も欲しかったんだと思って」


ジョージはにやにやと顔が緩んでるけど、「も」って言ったのは確実に口を滑らしている。それにも気づかないくらい嬉しいらしい。それを突いてみようかと一瞬思ったけれど、やめた。


「欲しがりなのはジョージだけじゃないよ」
「俺ばっかり欲しがってるって思ってた」
「私より早く言い出してくれるから、ほんとは凄く助かってるの」


来年になったら、きっとOWLのための勉強ばかりで忙しいだろう。甘い時間も減ってしまうかもしれない。カメラを借りようと立ち上がっていたジョージの服を引いた。それに気づいて、ジョージはまた私の隣に腰を下ろした。そのすぐ後に、ジョージが羽織っているカーディガンを軽く引いて、顔を近づける。


「、」


勢いのまま、一瞬だけジョージの口に自分の口を触れさせた。音もしないような、一瞬のキス。それだけでも顔から火が出そうなくらい恥ずかしくて、すぐにそっぽを向いた。


「今の、」
「〜〜去年、夏休みに、自分からハグくらいできるようにするって言ったでしょ」
「ハグじゃなくてキスだったけど」
「言わないで。今ものすごく恥ずかしい」


自分の足を引き寄せて、顔を埋めた。たぶん今、耳まで真っ赤だ。


「かわいい」
「今そーいうのやめて」
「かわいいからかわいいって言ってるだけだけど?」


腕の隙間から覗き込んでくるジョージと目が合って、背中向けても後ろから抱きしめてきて肩に顔を埋められて、ああだめ。だめだ、全部ジョージのペースだ。私が1を渡したら、10で返ってくるような、この感覚。ジョージの愛情に溺れてるような、甘やかな感覚が心地よいけれどやっぱり慣れなくて緊張する。


「もっかいしたい」
「だめ。やだ」
「あのさ、一瞬って物足りないって言うかもっと欲しくなるって言うか」
「だめ」
「いやだめじゃなくて、」
「今日はもう打ち止めです」


あれやこれやと言葉を尽くして、もう一回を欲しがられて、でももう私の勇気は出尽くしたし、これ以上甘いのは心臓が持たない。耳元で囁かれても後ろから抱きしめられても、だめを繰り返していたら、ようやく諦めたらしいジョージの声。


「やっぱりは男泣かせだよな……」


ため息とともにそんな言葉が聞こえて、思わず吹きだした。
そんなことを言うのは後にも先にもきっとジョージだけだ。



2016.6.5 三笠