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「グリフィンドール対スリザリン!試合開始!」


フーチ先生の笛の音が高く高く響いた。
真紅のユニフォームの選手たちと、緑のユニフォームの選手たちが、一斉に空へと飛び立つ。ああ、試合開始だ。


「ついに始まったわね。あのハリー・ポッターはちゃんとスニッチを取れるのかしら」
「うん…」


あの後どうやって寮に帰ったんだっけ。ぼやっと靄のかかった頭で思い出そうとする。
ただ応援をしに来ただけのはずなのに、「グリフィンドールが勝ったら、一緒にホグズミードへ行く」という約束をしてしまった。
思い出すだけで心臓がぎゅーっと締め付けられて、苦しい。じっとしていられない。
ふう、と吐いた息はなんだか熱を持っている気がした。


「ちょっと?聞いてるの?」
「えっ、わ、なに?アリス」


強く腕を揺さぶられ、ようやく私ははっとしてアリスを見る。アリスは、呆れたように深くため息をついた。どうやら私は心ここにあらず、という状態だったようだ。


「まったくもう、昨日部屋に戻ってきてからずっとぼんやりしてるんだから。試合くらいはちゃんと観なさい」
「ご、ごめん…」


アリスは私を叱りつつも、クィディッチの試合に夢中といった様子で、私の方は見向きもしない。今回はあのハリー・ポッターが一年生でありながらもシーカーに抜擢されたということで注目が集まっている。もちろんそれだけでなく、今年のグリフィンドールチームはレベルが高く、いよいよスリザリンを優勝から引きずり落とせるかもという期待も大きい。
リー・ジョーダンのグリフィンドール贔屓の実況が耳に届く。時折マクゴナガル先生に窘められながら、試合の行方を楽しげに話している。


『グリフィンドール、先取点!』
「!やったわ!ねえアンジェリーナがやったわ!すごい!」
「うん、さすがアンジー!」


グリフィンドール側の観客席は大歓声に包まれた。一年生の何人かが「ポッターを大統領に」という言葉と輝く獅子が描かれた大きな旗を持っていた。すごく目立つはずなのに、どうして今まで気付かなかったのだろう、なんて。今更だけど、どれだけ自分が注意力散漫だったのかわかって苦笑した。
そんな中、リー・ジョーダンの実況の空気が変わった。


『…ちょっと待ってください、あれはスニッチか?』


その言葉に、観客は一斉に視線を向ける。けれど私にはきらりと光る金色のスニッチの姿は捉えられなくて、シーカー2人の姿を追うことくらいしかできなかった。
その後、スリザリンのファールが起こり、私はシーカーよりも他の選手に目を向けた。くるんくるんと動いてばかりいる選手たちを目で追うのはなかなか難しくて、でも楽しげに空を駆け回る選手たちを見ているとこちらも楽しくなってくる。暴れるブラッジャーを見事に打ち返すジョージとフレッドは息がピッタリで、見事にスリザリンチームへと攻撃をしかけている。
きっと私は一生あの世界を味わうことはできないんだろうなあなんて、少しだけ寂しくなったのは秘密。

そうして、暫くシーカーを見ていなかったら、なんだか観客がざわついた。
誰かが指差す方向を見ると、ハリー・ポッターの箒がなにやら言うことを聞かないかのように、乗り手であるハリーを振り落とそうとしていたのだ。
ジョージとフレッドくんが、ハリーを助けようと近寄るけれど、どうにも上手くいかない。
早くタイムを取って、誰か先生方にハリーを助けてもらえるように頼めないかと、私は急いで先生方の座席に目を向けた。すると、なんだか不思議な光景だが、スネイプ先生と、――クィレル先生の2人の視線がハリーから外れない。そしてその状態のまま、なにやら口元が動いているのだ。
あれは呪文ではないのか。もし助けるための呪文だとしたら、どうしてハリーは未だ箒の暴走に苦しんでいるのか。そして考え付いたのはひとつ。
呪いと、保護呪文の掛け合い―――。


「ポッターってばどうしたのかしら。箒が落ち着かないとビーターも試合に戻れないわ…。この隙にどれだけ点が奪われてしまうか…」
「アリスってば、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。箒が治まらなくちゃ、ポッターはいつ振り落とされるか分かったものじゃないわ…」
「わ、わかってるわよ!でもおかしいわね、あんなに見事に空を飛んでいたのに」


そんな会話をしている間に、ふとハリーの箒の動きが治まった。ハリーはすぐに箒によじ登り、また安定した動きを見せ始めた。ほっとしてすぐにスネイプ先生とクィレル先生に目を向けると、先生方はなにやらばたばたと立ち上がっていた。なにやら灰色の煙が少しだけ立ち上っていた。
スネイプ先生が真っ黒のマントをばさばさと翻して、そしていつもどおりの
少々やつれた顔で慌てたように視線を移した。
その瞬間、先程よりもずっと大きく歓声が上がった。アリスを含めて多くの人が一気に立ち上がって腕を振り上げた。何かと思って試合に目を移した瞬間、アリスが力いっぱい抱きついてきた。


「スニッチよ!ねえ見た!?ハリーがスニッチを捕まえたわ!」


アリスを受け止めて、試合場を見るとグリフィンドールの選手たちがみんな一斉にポッターへと駆け寄って行くのが見えた。皆が歓喜の声を上げて抱き合って喜びを分かち合っていた。
つい目で追ったのは、赤い髪。アンジーともアリシアともケイティとも、抱き合って喜びを表していた。もちろん、フレッドやウッド、ポッターとも互いに抱き合って肩を叩いていたというのに、私の目には他の女の子と触れているシーンばかりが強調されて、なんだかもやもやと気持ちが下がっていった。

ハロウィンのときに抱きしめられたのは、特別な意味なんて存在しなくて、もしかしたらただのおふざけなのかもしれない、なんて。

そう思ったら、今度のホグズミードももしかしたらおふざけの一つかもしれない、なんて思ってしまって。どんどんとマイナス方向へ考えてしまう。
隣でアリスが、ポッターについて褒めちぎっていたけれど、私はそれを聴いている余裕はなかった。
ふとジョージが観客席のほうを振り返って、こちらを見て腕を振り上げて笑みを向けた。勘違い、かもしれないけれど。別の誰かを見ているのかもしれないけれど。私はそのとき目が合ったような気になって、確信なんて全然無いのに一気に緊張してでも嬉しくなって、ぎこちなく手を振った。私にはそれで精一杯だった。


「あら、いい雰囲気じゃない」
「えっ」
「あとでちゃんと、おめでとうの一言くらい言っておきなさいね。たぶん、誰よりあなたの一言が欲しいんだから」
「…そんなこと、ないよ」


え、とアリスが聞き返して。なんでもないと私は返した。
なにひとつ確かなものはなかったのに、勝手に思い込んで、ばかみたいに浮かれて。もしかしたらホグズミードのことだって、ばかな私に気を遣ってくれたのかなあ、なんて。さすがにそこまでお人よしじゃないだろうに、思い込んだら否定することができなくなってしまった。


(ジョージの視線の先にいるのは誰だろう)
(その先にいる誰かが自分だとは到底思えなくって。都合の良い妄想をすべて否定していったら、確かなものなんて何一つないと分かってしまった)



2011.08.18 三笠