05-2

「じゃあ、あの、締めさせてもらうね」


 少し開いていた距離をつめて、は手を俺の首元に伸ばした。襟を一度立てて、ネクタイの長さを調整する。毎日自分のを締めていることもあり、手つきは滑らかだ。


「人のネクタイも締められるんだ?」
「うん。女友達とはよくやるの」
「え、なんで?」
「遊びの延長線上でね。人によってやり方違うから教えてもらうこともあって、結構楽しいよ」


 絶対に男はやらない遊びだなと思った。やり方が違うからどうだというのか。あまり興味がない。


「締めすぎないほうがいい? ゆるめ?」
「ん、いつも見てるだろ? マクゴナガルが文句を言わないギリギリまでゆるくしてる」
「なるほど。……うーん、一回ちゃんと締めてみていい? ボタンも上まで留めたいな」
「今だけならいーよ」


 さすがにそんなきっちりした格好で寮に戻りたくない。経緯だなんだといろんな奴らに詮索されるのは面倒だ。もそれは感じたようで、今だけね、と呟いて俺のワイシャツのボタンに手を伸ばした。第二と第一は留めると堅苦しくて、外してることのほうがよっぽど多い。
 ふとの顔を見ると、なんだか目が爛々と輝いていた。ネクタイなんかどうでもよかったんだけど、この目を見れただけでなんだか得した気がする。


「これ、楽しいの?」
「え? うん。楽しい」
「そうなんだ」
「前からね、憧れだったの。男の人の着替え手伝うの。なんだか特別な関係みたいに見えて、いいなーって思ってて」
「夫婦みたいだよな」


 そう呟いたら、は目に見えて顔を赤くした。ふうふ、と呟くのが聞こえた。あとは結び目に通すだけで終わるはずだったのに、手が止まってしまう。


「わ、わかんなくなっちゃった」
「俺そんな変なこと言った?」
「う……。すぐ動揺させようとしてくる」
「今のはそういう意図で言ったんじゃないんだけどな」


 はネクタイを一度手放して、初めの状態に戻した。緊張しているようで、手を胸に当てて何度か深く呼吸をしている。の首元を見ると、一番上までしっかりボタンが止まっていて、きゅっと締まったネクタイが見えた。ベストの所為で見えないけど、きっと長さもちゃんと調節されているんだろう。俺みたいに、片方だけ長くなってもまあいいや、なんてことはなさそうだ。――と思って、ふと閃いてしまった。



「? なに?」
「この後、俺ものネクタイ締めていい?」
「え? いい、けど……?」


 先に興味がない素振りを見せているからだろうか、が意外そうな顔で俺を見た。少し首をかしげている。ちょっとやりたいことができてしまった。


「変なこと考えてる?」
「え、まさかそんな。心外だな、俺のことそういうふうに思ってたの?」
「だ、だって、興味ないんじゃなかったの?」
「いや? そんなこと言ってないだろ?」


 正確には、興味なかったけど興味が出てきた、って感じだ。そのニュアンスはわざわざ説明するほどではない。は多少気になる様子だったが、まあどうせすぐわかることだし、気にしないことにしたんだろう。まあいいや、なんて呟くのが聞こえた。


「続き、やる?」
「うん、やる。ちょっと動かないでね」


 の手が、再びネクタイを両手でつかみ、長さを調節する。ネクタイをクロスさせて、重なった部分を押さえて、くるくるっと巻いて、上から通してほぼ完成。今度は雑談なしだったからか、すごくスムーズにできた。結び目を押さえながら、裏に隠れてるほうを引っ張って、苦しくない程度にきゅっと締める。最後に少し形を調節して、立ててた襟を折って、完成だ。どうやらとしても、この作品はなかなか満足がいく出来だったようで、きらきらした目で、うんうんと頷いてた。


「完成!」
「ん。やっぱいつもより締まると違和感あるな。うっかり緩めそう」
「え、まだ待って。折角きれいに出来たのに」
「んーー、まあ少しだけな」


 こんなしっかりとした着方なんて、ホグワーツ入学前にママからネクタイの締め方を教わった時以来だったと思う。まあ、結局のところちゃんと覚えられなくて、初回はホグワーツ特急の中で兄貴たちのを真似しながら覚えたんだけど。(パーシーが兄貴ぶって何度も目の前で見本を見せていたのは覚えてる)


「じゃあ、俺ものやってもいい?」
「いいよ、ちょっと待ってね。今外すから」


 俺と同じように、ネクタイの結び目に指を差し込んで、すっと下に引く。しゅるっとすぐに解けて、首から外された。はい、と手渡されて受け取った。首の周りはまだの体温が残ってる。


「ボタン、1個外していい?」
「えっ? なんで?」
「俺のほうは、いつもがしてるみたいにしただろ? じゃあのほうは、いつも俺がしてるのと同じようにやろうと思って」
「じゃあ、かなりゆるめ?」
「そ。第一ボタン外して、ネクタイの長さも適当」


 どう?と聞くと、言葉に詰まったような顔をした。でも、ちょっと間をおいて、は自分で首元のボタンに手をかけた。第一ボタンがゆっくり外されてく。休暇の時の私服では見えてた首筋が露わになる。あと鎖骨もちょっとだけ見える。うん、これはやっぱり俺の前だけにしてもらおう。


「……これでいい?」
「ボタン外すとこからやりたかったんだけどな」
「そっ、それはちょっと、」
「だよな。じゃあ、ネクタイ締めるよ」


 の首に引っ掛けて、いつもの手順を逆向きに、と考えながら手を動かそうとする。けど、意外と難しくて、今手に持ってるほうはどうするんだったかとよくわからなくなってしまう。苦戦してると、くすくすと笑い声がちょっと下から聞こえた。


「意外と難しいでしょ?」
「ああ、自分でやるのと逆方向からになるんだよな。脳が混乱してくる」
「教えたほうがいい?」


 すっかり上から目線だ。二人でいるときにのほうが優勢になるのは、どちらかというと少ないほうだから、楽しいらしい。自分は経験あるんだから、そりゃできるだろう。お互いの距離がこれだけ近くて、のほうに余裕がある機会なんて珍しい。――というか、距離感とか諸々、頭から抜けてそうだな、と思って、全然結べてないのネクタイを片手で軽く引っ張った。痛くないように、少しだけ、だ。それに驚いたの唇に、自分の唇を重ねた。驚いて目をつぶるのも忘れて、真っ赤になるの顔。重ねてたのはほんの数秒だけ。ネクタイから手を放すが、顔を真っ赤にして俯いて、動かない。


「――油断大敵、ってね」
「……ちょ、っと待って、え、うそ、……え……?? そ、そういう雰囲気だった……?」
「いや? どうだろうな? でも別に、そういう雰囲気じゃなくても、ちょっとキスするくらいあるだろ。挨拶と同じ感覚でさ」

 別に、ちょっと口と口を合わせただけだ。しかもほんの数秒だけ。キスだけど、いつもの甘ったるいものとはまた別だろう。――と俺は思うけど、どうやらの中では別ではないようで、目に見えて動揺していた。

「あ、挨拶で口のキスはしないでしょ」
「俺の両親はしてたけど?」
「えっ、 ……え?」
「ほら、行ってらっしゃいとかただいまとか」
「う……確かに……そ、そういうの、あるかも、だけど……」

 の両親はしてなかったのかな、と考えて、でも確かの両親が亡くなったのはが2歳とか3歳とか、その頃だったのを思い出して考えるのをやめた。覚えてるはずがない。
 でも、ほとんど目の前に彼女の顔があったら、吸い寄せられるようにキスをしちゃうのは仕方ないと思う。むしろキスしないほうが失礼にあたるような気もするくらいだ。

「大丈夫?」
「えっ、あ、ええと、うん、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「(大丈夫じゃなさそうだな)」
「あっ、あの、えと――あの、ネクタイ。そう、ネクタイの話に戻るんだけど、一回自分の首で結んでから、緩めて私の首に引っ掛けて調節するだけのほうがよっぽど簡単だし、それか、わたしの背中側に回ってやってみるのも簡単だと、思う」

 キスのはなしは一旦放置、らしい。一旦どころか今日の話題から外したいような気配を感じる。動揺はまだ収まらないようで、視線が合わない。手がそわそわとネクタイをいじってる。もう少し余裕をなくさせてみたくて、選択肢のうち、より密着するほうを選んだ。

「――じゃあ、後ろからにしよっかな」
「えっ、あ、そっち」
「どっちでもいいんじゃないの?」
「いやあの、うん、まあ、ど、っちでも、うん、だ、だいじょうぶ」

 全然大丈夫じゃなさそうだけど、大丈夫だというなら遠慮するつもりはない。立ち上がって、の後ろに回って腰を下ろす。は横座りをしていたが、邪魔になると思ってか膝を立てた。背中からも緊張が伝わってくる。自分で言ったくせに、実際にやるところまで考えていなかったようで、そういうところもらしい。
 足を広げて、間にを挟むような形にして、両腕をの腰を回して抱き寄せた。顔をの肩にうずめるようにすると、なんともちょうどいい高さ、感触だ。

「えっ、え、な、なに」
「んーー? バックハグしてるだけだけど?」
「き、聞いてない」
「言ってないからね」

 クッションを抱え込むよりよっぽど気持ちがいい。俺よりちょっとだけ低い体温。やわらかいけど、背骨の感触は硬い。頬をくすぐる髪。赤く染まった頬。逃げたいのか、俺の腕に宛がわれた両手。

「……イヤ?」
「えっ、」
「嫌ならやめるけど?」
「う、うーーん、い、や、では、ない、?」
「なにそれ、どっち」

 自分でもどっちか分かってないようで、考えだす。まあ、嫌じゃなさそうだなってあたりをつけて、現状維持。

「ね、ネクタイ、は?」
「ウーン、ちょっと待って」

 もうちょっとこのままでいたいけど、の顔を見る限りあまり長時間は保たなそうな気配を感じる。普通のハグなら結構平気になったみたいなのに、ちょっと違うことをするとすぐに弱音を吐く。そんなとこもかわいいけど。

「じゃあそろそろネクタイ締めようかな」
「! うん」

 ぱっと表情が明るくなった。単純だな、と思いながら、手をネクタイにかけた。両端をもって、いつも自分がやるように、長さ調節なしで雑に締めた。長さはばらばら。後ろのひものほうが長い。うん、いつも通り、だ。結び目も、第二ボタンに被るくらいのところ。

「完成」
「……これで?」
「いつも通りの俺だろ?」
「確かにジョージのはいつもこんな感じかも」

 おもむろに、は自分の手首のボタンを外して、肘の少し下くらいまで腕まくりした。そしてくるっと回って、俺と向かい合うように座りなおした。

「暑いときとか、たくさん動くときは腕まくりするでしょ?」
「ああ、ウン」
「でしょ。……髪もおろしたほうがいいかな」
「え、ごめん、なに考えてる?」
「ジョージっぽい制服の着方ってどんな感じかなって」

 するりと髪ゴムを外し、手くしで整えている。俺っぽいっていうのがどういうのかはわからないけど、湖に映る上半身を見て、ちょこっと袖の長さとかネクタイの傾きとかを直して、納得がいったみたいだ。うんうん、と頷いている。

「制服で、君が髪をおろしてるのって珍しいよな」
「うん。おろしてると、時々鳥が肩に乗るときに絡まっちゃうの。まあ、結んでても時々猫のおもちゃにされるんだけど」
「あ、そういう理由なの?」
「? うん。他にある?」
「おしゃれとかさ」

 あっ、と声を出したは、その選択肢を忘れていたらしい。好んで一つ結びにしてるのかと思っていたんだけどな。そういえば休みの日なんかは、結んでる位置が違ったり、お団子にしていたり、時々は違っていた。それでも絶対といっていいほど結っていたのは、動物たちのためだったのか。まあ、すごくらしいけど。
 正直、違う髪型にしてると、後ろ姿ではかどうか一瞬迷うからいつも同じほうがありがたい。……けど、たまには違う髪型も雰囲気が変わってかわいいとは思う。難しいとこだな。

「あっ、そう、そうよね。ウン。……もしかして、ジョージはおろしてるほうが好き?」
「んーー? どっちもかわいいと思うけど?」
「……か、かわいい」
「かわいいよ」
「は、恥ずかしいからちょっとあの、あんまり言わないで、そういう、の」

 あれ、俺って結構頻繁にかわいいって言ってなかったっけ。そう思うけど、案外言ってないかもしれない。心の中で思ってただけか。は、恥ずかしいとき、視線を逸らすし、手を口元に当てる仕草をする。

「あんまり言わないようにしたら、いつまでもそういう反応見られるかもしれないよな。それは……ウン、結構イイかも」
「え、いやあの、よ、よくないよね?」
「うん? 俺はそういうとこ見るのスキ」

 肩が触れるくらいまで近づいて、隣に座る。の顔を覗き込むと、頬っぺたを赤くしながら、目をそらした。この調子じゃ、俺のことを見てるよりも目をそらしてるほうが頻度高いんじゃないかって思うくらいだ。

「こっち向いて」
「し、心臓こわれそうだからむり」
「うっそ、今そんな大したこと言ってないだろ俺」
「つ、積み重なって、今日の許容量オーバーしたっていうか、あの」

 君の許容量少なすぎない?って言いかけて、やめた。まあ、多少は進歩してる。去年よりはだいぶマシになってる、気がするし。負荷かけて逃げられても嫌だし。ひとつため息をつきそうになって堪えた。触れてる肩のほうに少し体重をかけて、もたれかかってみる。重たいのとびっくりしたのとで、が思わずといったようにこちらを見た。

「まあ、気長に待つか」
「えっ、お、重たい」
「そうーー?」
「??? え、なんでさらに体重かけるの? なんで?」
「はは、いやごめん、ジョーダンだよ」

 冗談、と口にしながらもそのままもたれかかっていた。は次第に諦めたように息を吐いて、またどこか遠くに視線をやる。おろした髪がぱらぱらと風に舞って、なんとなく視界にうつるその横顔がいつもと違って見えて、きれいだなってぼんやりと思った。
 その後はぽつぽつ喋りつつ、からかいつつ。暗くなる前に戻った。宿題ばっかりで嫌になる一週間だったけど、こういう日が一日あるだけで随分と気分が違う。なんとなく、OWLの所為でつまんねえ一年になる予感はあったんだけど、思ってたよりマシな一年になりそうな気がした。


2020.08.21 三笠

(あ、。戻るんならいつもみたく直して)
(? 緩めるのもわたしがやったほうがいいの?)
(当然。俺ものネクタイやり直そうか?)
(い、いらない……)