05

 新学期が始まってようやく1週間が過ぎた。とはいえ、宿題は山のように出されてしまい、休日すら休ませないという教師陣の意地と覚悟が垣間見えた。思わずため息が出てしまうくらい。
 金曜日の夜は少しお休みして、土曜日は一日がかりで宿題を終えた。−−そして今、日曜日の昼過ぎ。ぐっすり眠って寝坊して、お昼ごはんをゆっくり食べ終えて、ようやくの自由時間だ。


「こんなに宿題に追われた週末は初めてだったわ……」
「おつかれ。全教科開口一番OWL、OWL、OWLで嫌になるよな。今何月だと思ってんだか」
「あとOWLまで……9か月かな。はあ……毎週毎週こんな調子だったら参っちゃうわ」


 湖の周りを取り囲んでいる木陰は、既に逢引の定番になっている。他に人がいなくて気兼ねしなくていい。厨房から頂戴した紅茶とクッキーをつまみながら、二人で話す。


「最近はなにか開発してるの?」
「まあ、いろいろとね。ずる休みスナックなんかは君の好みに合うかな」
「ずる休み? どういうものなの?」


 その名の通り、ずる休みをするために一時的に体調不良になるスナックだそうだ。ヌガーやトローチなど、いろいろと種類があり、たとえば授業が始まった時点でヌガーを一口口にすると鼻血が出て、教室を出た時点でもう一つヌガーを口にするとすぐ止まる。その授業の時間を自由に使えるということらしい。


「今年はそれを求めてる人が多いかもね」
「君も欲しい?」
「今のところはいらないかな。ずる休みする勇気がないもの」
「そんなことに勇気が必要なのかい?」


 うそだろ、とジョージは笑った。つられて私も笑った。嘘をつくのには勇気がいるのだけど、ジョージには理解できないだろう。


「私は嘘をつくのも勇気が要るの」
「箒に乗るのにも勇気が要るし、は勇気が必要なことばっかりだな」
「ジョージはなんでも簡単にやっちゃうけど、勇気が必要なことはないの?」
「え? 俺? ウーン、思い浮かばないな……。まあ君とのいろいろにはだいぶ勇気が必要だったけど」
「う」


 肩にジョージの手が触れて、抱き寄せられる。だいぶ、だいぶ慣れた。心臓は普段通りではなくなるけれど。肩と肩が触れる距離感。見上げると、ジョージが私の額にひとつキスを落とした。


「最初はそれなりに緊張したし勇気は必要だったけど、さすがにもう慣れたな」
「……早すぎる」
「君が嫌がらないと分かれば、俺はなんだってできるよ」


 この人が気にするのは結局そこだ。相手が嫌がるかどうか。悪戯だって、みんなが面白いと思うものしかやらない。そういうところ、本当に好きだなあと思う。好き勝手やってるようで、ちゃんと考えてる。


「嫌だって言ったらやめてくれるの?」
「えっ、やめてるだろ?」
「最近わたし嫌だって言ってないから忘れちゃった」


 先学期は、何度か人の来そうな場所でキスしようとしてきたことがあったから、そういう時はやめてもらったことがある。結局人が来なかったのだから私が気にしすぎていただけなんだけど。
 ちゃんと気を遣ってるのになァ、なんて拗ねるから、うそだよちゃんと覚えてる、と返して、ジョージの肩に頭を預けた。


「前、話の途中だったと思うんだけど、ジョージは結局なにがしたいの?」
「アーー、アレな。変身術の復習の後に話してたやつ。……聞きたい?」
「うん、聞きたい」


 身体ごとジョージに向けて、視線を合わせる。ジョージはちょっと迷っているようだったけれど、一度座りなおして、そして口を開いた。


「……キスしたい。もっと深いやつ」
「深い?」
「舌絡めるのとかさ、聞いたことない?」
「えっ」


 知らない、と言うと、ジョージは苦笑いしていた。時折、唇を舐められることがあったけれど、もしかしてそれはなにかの合図だったのかな、と思った。いやでもわかんないし。キスの種類なんて知らない。


の身体、全部触りたいし」
「ぜ、ぜんぶ?」
「全部」


 ぜんぶって、全部? 同世代の女友達と比べても凹凸が少ないこの体を全部? え、うそ。うそでしょう。うそだと言ってほしくて、でも目は真剣だったから何も言えなかった。
 

「アーー、ちょっと耳貸して」
「えっ」


 耳に口が当たるくらいに近く。熱を持った吐息とともに、いつだったか初等学校時代の特別授業で聞いた言葉を口にした。


「ーーって言ってわかる?」


 自分の顔が真っ赤になってるのがわかる。ジョージの言った単語はもちろん、その、知っている。でもそれをしたいと言われるなんて思ってなかった。もっとずっとずっとずっと先のことかと思っていた。だって、わたしたちはまだ15歳。ああでも、パパとママが私を生んだのは、20歳の頃だった。あと5年。ーー近いような、遠いような。


「……は、繁殖行動…………」
「そういう言いかえするなよ」
「えっ、いやでも、あの」
「ほーんと、こういうの疎いよな」


 ジョージの手が、私の頬をつまむ。決して痛くないように。ちょっぴりだけ。本当は何度もするつもりはなかったのだろうけど、でもなんだか感触がお気に召したようで、両手でむにむに触ってくる。


「すげえ柔らけえ」
「誰のほっぺも柔らかいでしょ」
「そう? 俺のより絶対やわらかい気がするんだけどな」
「そんなこと……」


 ジョージの頬をつついてみると、確かにわたしよりもしゅっとしてて、柔らかいかというと、NOだ。片手で自分の頬を触って、もう片方でジョージのを触って……。うん、明らかに私のほうが柔らかい。


「うわあ、違う……」
「だろ? はどこ触ってもやわらかくて触り心地いいよ」
「どうりでジョージはやたらと触りたがるわけだよね……。確かにやわらかい……」


 ジョージは引き続き私の頬っぺたを触ろうとしたから、その手を避けた。そんなに頬ばっかり触られるのは嫌だ。頬を両手で押さえてしまえば、もう触れないだろう。ジョージは、お手上げとでもいうように両手を上げて、あぐらをかいた。


「……まあ、いろいろ言ったけど、男と女がするようなことは全部したいよ、俺は」
「ぜんぶ……」
「そ、全部!」


 したくないとは言わないが、今は心臓が破裂してしまいそうだ。階段を一個ずつ上るようにゆっくりとしてくれてるからどうにか私は生き延びてるだけで、普通の彼氏彼女というやつはもっと駆け上がるようにいろんなことをするのだろう。わたしには真似できない。おそろしい。……おそろしい。


「とりあえず今年はどうしよっか。深めのキスも試してみる?」
「や、やり方わかんない」
「教えるよ」


 おいでおいでと手招きされて、迷って、とても迷った末に、距離を詰めるのはやめた。だって、だってジョージがしたいこと、がわかってしまったら、迂闊に近づいていいのか迷う。今までだったらなんの気兼ねもなく近づいていたはずだ。


「いっ、今はいいや」
「そう? 残念だな」
「うう、ジョージはやりたいことたくさんありすぎない……?」
「折角手の届く範囲にかわいい彼女がいるんだから、いろいろやりたくなるのは自然なことだと思うけど?」


 それもそうなのかもしれない。だけど、私の場合は現状に満足してしまって、今以上のことを求めるまでがとてもとても長い気がする。
 ああでも、夏休みにシリウスさんと話してたことを思い出した。


「……あ、」
「なに?」
「やりたいこと思い出したの」


 シリウスさんには馬鹿にされたけど、もしかしたら、ジョージは馬鹿にしないかもしれない。……そんなこともないか。でも多少肯定的に受け取ってくれる気がする。そう思って、口を開いた。


「OWL終わったら、お互いご褒美みたいなの用意できたらなって、思ってて」
「へえ、いいね。なにかほしいものあるの?」
「ばかにするかもしれないんだけど」
「しないよ。なに?」


 そういえば私からなにかをやりたいと言うのはとても珍しい。そう思うと、なんとなく気恥ずかしくなってしまって、小声になってしまった。


「あのね、……ネクタイ締めさせてほしくて、」
「は? ネクタイ?」


 ジョージは首を傾げた。そして自身の首元のネクタイをベストの中から取り出して解く。ホグワーツ指定の、グリフィンドールのネクタイ。自分もまったく同じものを身に着けている。


「こんなんでいいならいつでも好きにしていいよ」
「あっ、え、いいの」
「いいよ。なんでネクタイなんか結びたいのかわかんないけど」
「あ……でもあの、わたしこれをご褒美にもらう想定でOWLがんばろうとしてたから、今やっちゃうと……う、どうしよう」
「こんなのご褒美でもなんでもないだろ。ご褒美はもっとさ、別のこと考えといてよ」


 私の目の前で、ジョージは、ほどいたネクタイの片方を引っ張って、首から外す。それを手渡されて、どうしようかと迷う。これ以外にご褒美を用意してくれるのはすごく嬉しい。でもなんだか、比較的がんばってお願いしたのに拍子抜けしてしまう。
 とはいえ、他のお願い事といえば−−。頭をよぎったことが一つ。そういえば来年は大きなイベントがあった。


「……クィディッチワールドカップに一緒に行きたいとかでもいいの?」
「お、いーじゃん。そういうのだよ。ご褒美って」
「チケット取れるか分かんないけどね。ジョージの家は行くとしたら家族みんなで行くんでしょ? たぶん私は行くとしても一人だから一緒に過ごせたらうれしいなって思って」


 来年の夏休みにはクィディッチのワールドカップがある。わたしはあまり詳しくないけれど、ジョージはとても興味があるはずだ。


「チケットは親父が手に入れられるはずだから、君の分も頼んでおくよ」
「え、いいの?」
「折角魔法省で仕事してるんだから、その伝手は有意義に使わなきゃ損だろ?」


 アーサーさんは卒業してからずっと魔法省で働いているから、いろんな部に伝手があるみたい。初めて会った時、気さくでとても話しやすい人だったから、納得だ。


「じゃあ、お願いします」
「オッケー。任しといて。……ということで、には俺のネクタイ締めてもらおうかな」


 折角距離を取ったのに簡単に距離を詰められて、上からにっこりと笑みを浮かべるジョージ。私の手のひらにはまだ体温の残るジョージのネクタイ。自分から言っておいて、今更ちょっと待っても嫌だも通じない気配がした。



2020.7.1 三笠