箒の特訓!

箒の柄をがっちり握りしめて、一度深呼吸をしてから地面を蹴った。
数十センチだけ浮くが、怖がっているのが伝わるのか、ガクガクと大きく震えて、箒が私を振り落とそうとする。
必死で掴まっていたけど、箒は暴れ、ついには手を離してしまい、私は空高く投げ出された。


「ひやっ」
「おっと、」


確実に地面に落ちると思っていたのが、ジョージに受け止められた。
痛くない、と思って目を開けると、思った以上に近い距離。心臓の音が聞こえそうなくらいの距離に、びっくりして体が硬直してしまった。


「あ、ああありがとう…」
「どういたしまして。でも、こんなに苦手だとは思ってなかったな」


わたしを地面に降ろしながら、ジョージはくつくつと笑った。
箒は何処へ行ってしまったのか、と辺りを見渡すと、ずっと上の方から落ちてきた。
ジョージはそれを受け止めて、私に渡す。
太い柄を握りしめて受け取るけど、箒に「もうちょっと大人しくして
くれないかな」なんて文句を言いたくなってしまうくらいだ。


「もう一回箒に乗ってみて」
「う、うん…」
「今度は僕も一緒に乗るから、絶対落ちないよ」
「えっ、い、一緒に?」


思わず聞き返すと、ジョージはくすりと笑って頷いた。
一緒に飛んだら確かに恐怖は薄れるかもしれないけど、それよりもドキドキして集中できない確信がある。


「あ、えっと…私が前…?」
「え、後ろがいい? ずり落ちても助けられないけど」
「う…!なんでそんな冷静なの」
「僕まで余裕なかったら、君は安心して乗れないだろ?」


これでも結構緊張してるんだよ、とジョージは呟いた。
一応両想いだってわかって、付き合うことになって、時折感じる甘い雰囲気が嬉しいようなこわいような不思議な気持ちだった。


「どのくらい、あの、とっ、飛ぶつもり、ですか」
「ぶっ…なんで敬語? そんな高くは飛ばないよ。5mくらい」
「ご、5m…うん、了解。敬語は…その、一応教えてもらうんだし…」
「距離とられてるみたいでちょっとショックかなー。そんな予防線ひかなくても、簡単に手出さないし…出せないよ」


近づくとドキドキしすぎて怖いのは多分お互い同じで。
ジョージの言葉でそれがわかって少しほっとした。


「じゃあ、いい? 箒に跨って…」


言われたとおりに箒に跨ると、ジョージが私のすぐ後ろに跨って、私を包み込むように手を私の手に被せた。


「そう、しっかり握って。落ち着くまで箒は絶対に離さないこと。とりあえず飛ぶことに慣れるところから始めよう」


私がしっかりと箒を握っていることを確かめたら、ジョージの手は私の手から少しずれた所の柄を握った。


「1,2,3で地面を蹴るよ。いくよ、1,2,3っ」


地面を蹴ると、数十センチほど浮いた。私の不安定な気持ちを表すように箒は少しがたがたと震える。


「大丈夫。ちょっと力抜いて、僕に任せて」
「う、うん」
「じゃああの木の枝を目指すよ」


ジョージが指差した枝を確認して頷いた後で、ゆっくりと箒は上へと向かっていった。
箒の柄を痛いほど握ったまま、足に地面がついていない感覚に恐怖を感じていた。


「はい、此処で一旦停止だ。これ以上は動かないから、此処で少し会話でもしていよう。浮いていることに慣れるんだ」
「え、こ、此処で? 浮いたまま?」
「そうだよ。何を話そうか。希望はある?」


顔が引きつったまま、首を振る。
真後ろにいるジョージには私の顔は見えていないだろうけど、きっと想像がついているのだろう。後ろでくつくつと笑う声が聞こえた。


「じゃあ、どうしような。ああ、今は落ちる心配ないから手を離しても大丈夫だよ。そのまま僕にもたれかかってくれてもいいし。少しリラックスできるようになれば大進歩だ」
「う、うう…それはちょっと…」
「だろうね。まあ深呼吸するところから始めようか。はい、吸って、…吐いて。そう、はい繰り返して」


ジョージの声にあわせて、深呼吸よりもずっと浅い呼吸を繰り返す。
ぴくりとも動かない箒に段々と慣れていき、固まっていた肩を少し動かした。


「うん、うん、いい感じだ。…そうだ、あとでうちのフクロウを診てもらってもいいかな。だいぶ年寄りなんだ」
「ええ…? い、いいけど」
「ちなみに庭小人なんかは君の守備範囲に入ってるかな? うちの庭に沢山居るんだ。あとでまた駆除しなきゃな」
「庭小人? そんなの居たっけ…よく見てなかった…。手伝っていいなら手伝わせて」
「大歓迎さ。それに、屋根裏おばけも住み着いてるし、鶏もいるよ」
「や、屋根裏おばけはよくわかんないけど…、鶏だったらよくお世話してたわ。家に2羽いるの。毎日卵を産んでくれるから助かるわよね」
「ああ。ご馳走にもなるしな」
「えっ、た、食べちゃうの?」
「食べるよ? 当たり前じゃないか」
「さすがに家の鶏をそのまま食べることはしないわ…」


会話をしている間、ジョージはずっと私の緊張しきった腕を撫でていてくれて、少しずつ余分な力が抜けていく。
魔法生物関係の会話を振ってくれたのも、気を遣ってのことだろう。効果は確かにあったと思う。


「ちょっと両手を離してごらん。絶対に落ちないからさ。両手離して、僕にもたれかかってみて」
「え、あ、で、でも」
「ほら、また力入った。だめだって。力抜いて」


やっぱり力を抜けない私を見てジョージはいきなりふっと吹き出した。くつくつと笑い出して、そして箒の柄が傾いた。ひいっと声が出て、重力に沿ってずるりと下へと身体が下がる。背中がジョージにもたれかかる。私が慌てても、ジョージはなにひとつ焦ることはなく片手を私のお腹に回した。
その感覚にびっくりして、一瞬だけ恐怖を忘れた。くすぐったがりで触られるのが苦手だって、ジョージに言ってなかったっけ。慌てて、片手でその手に手を重ねて「あああの、おな、お腹…っ」と必死で伝えようとすると、伝わったのか手は離れていき、箒の傾きも戻った。


「もしかしてお腹触られるの弱い?」
「う、うん、お腹だけじゃないけど…」
「腕は平気だよな。肩とか背中とかも大丈夫?」
「大丈夫。頭も平気。…あとは大体だめかも…」
「オッケー。人前で触んないように気をつける」


そういう可愛いとこ知ってるのは俺だけがいいし、とジョージは言った。私も、会話のたびに甘い言葉を吐いて私を動揺させているそんなとこを他の誰かに知られるのは嫌だな、なんて思うけど、それは口にしないでおいた。


「…にしても、やっぱりショック療法って効果あるんだな」
「えっ、なに?」
「肩、無駄な力抜けてる。少しだけど片手外せたし。ちょっとは慣れたみたいで良かった」
「あ…ほんとだ」


確かにさっきよりも緊張していない。
高い場所も大分慣れて、このくらいの高さなら1人でも来られるような気がした。


「一旦降りようか。はい、操縦は任せるよ」
「う、うん…」


両手でしっかり箒を握って、ぎこちなくも、問題なく地面に着地した。
びっくりだ。今迄で一番の出来じゃないだろうか。


「で、できた」
「うん。ちゃんとできてたよ」
「う、うわー…ちょっと感動」


振り落とされたりガタガタと揺れたりせずにすんなりと降りれたのは初めてだ。他の人には当たり前のことかもしれないけれど、すごくうれしい。
進歩しているのがわかって、気持が高揚する。今なら言えるかな、なんて、前からの希望をそっと口にした。


「あ、あの、さ。教えてもらってて、こんなこと言ったらいけないのかもしれないんだけど」
「なに?」
「一人で、ちゃんと飛べるようになったら、ご、ご褒美ほしい…って言ったら、怒る…?」


後ろめたいのもあって、直視せずにちらちらと視線を向けながら言った。
前から思っていたけれど、言えなかった。図々しいとも思ったし、こちらから言うのもおかしいかなって思ってたから。


「いや、いいよ。なにが欲しい? 僕に用意できるものならなんでもいいけど」
「ほんと?」
「ほんとほんと。あんまり高いものは無理かもしれないけどさ」
「えっと、ほしいのはモノじゃなくって、」


首をかしげているジョージの目の前で、言うのに少し勇気が必要だった。でもここまで言ってしまったら、早く喋ってしまえと思って口を開く。


「ファミリーネームじゃなくて、ファーストネームで呼んで欲しい、んだけど、 だ、だめ、かな」


恥ずかしいのもあって、ぼそぼそと小さな声で言った。すると、ジョージは口元に手を当てて顔を背けた。心なしか耳が赤い気がする。


「……、って呼んでほしいってこと?」
「! う、うん」
「じゃあぜひとも飛べるようになってもらわないと。それまで呼べないってことだよな」
「え。よ、呼びたいならそれでも」
「ダーメ。飛べるまでは呼ばない。オッケー?」
「お、おっけー」


よし、と満足げにジョージは笑った。


って呼びたくないわけじゃないけど、でも名前のほうが恋人っぽくていいよな」


付け足された言葉には答えられず、私は持っていた箒にもう一度跨った。



2012.9.1 三笠