いろんなものに流されてここまで来た。人はこれを成功だと言うけれど、今一つ私の中でその言葉はすとんと落ちていない。成功っていうのは、こういうものじゃない気がする。オールマイトのようにヒーローをやるために生まれてきてヒーローをしているのが凄く楽しいみたいな人のことを成功って言うんじゃないだろうか。もちろんこれは極端な例だ。こういう人は世界でも数人しかいないだろう。なりたいものが特にない私はなにをやればあんなふうになれるのかわからない。というか無理だろう。現実を見ろって感じだ。ていうか私はそんなこと願ってない。ただ平穏に過ぎてくれ。普通に普通に生きられればいい。あれ、それじゃあこれは成功じゃないか?ううん、違う。だって、毎日が大騒ぎだ。毎日毎日事件は起きる。敵対策に生徒たちの安全確保、授業や部活の担当はあるし、マスコミ対策だってある。毎日毎日残業して、くたくたになって、遊ぶ暇なんてない。たまに友人とお茶でもしていても、時と場所を選ばない敵の出現で落ち着かない。そんな日々。人によっては充実しているんだろうけど、私にとっては―――。 「はー、しんど」 23時を過ぎた頃、もう他の先生方は帰路について職員室には私一人だ。社会人5年目を過ぎた私はそろそろ中堅どころ。任される仕事が増えてきて、正直しんどい。いや本当まじで。明日の準備は終わっているが、来月の運動会準備が全然終わってない。ああ本当になんで私こんなに酷使されてるの。労働基準法はどこにいったの。21時を過ぎた頃から全然頭が回らないし、ああ本当つらい。もうさっさと帰るべきじゃないか?女ひとりで帰るの危ないし。とかいって、雄英に勤めてるような女はただの女じゃないとか言われるんだよな。まあそうだけど。悪漢一人くらいお茶の子さいさいですけどね。まあ相手の個性次第だなあと思う。 ぐるぐるとそんなくだらないことを考えていても埒が明かない。もういいや。明日にしよう。そう考えてパソコンを閉じる。 「あれ」 「……おう」 がさごそと鞄に荷物をしまっていたところ。目の前ににゅっと現れた男性一人。相澤消太先輩。寝袋から這い出てきたらしい。なんでそんなところで寝ていたのか。全然気づかなかった。 「……もしかしてずっとそこで寝ていたんですか?」 「まあな」 「家に帰れば良かったじゃないですか」 私よりも先輩のプロヒーローだし先生としても先輩だけど、この人との関係はとてもとても近い。何度か家にお邪魔してるくらい。お付き合いしているのかしてないのかわからない距離感。別にキスとかえっちとかしてるわけじゃない。ただなんとなく、お互いに気を遣わないこの関係が楽で一緒にいる。 「帰り支度終わったら言え」 「へ」 「戸締り確認してくる」 はあどうもありがとうございます、と気の抜けた声で呟いた。ねえ、なにこれ? よくわかんないな。相澤先輩、どうしたの?気の迷い?いつもならこんな時間までここにいることはない。合理性を重視する人だから、さっさと仕事を片づけてさっさと帰宅する。それがいつものパターン。少なくとも私はそう認識していた。 「相澤先輩、熱でもあるんですか?」 「ない」 「それとも、わたし明日にでも死ぬんですか?だから優しくしておこうって、そういうことですか?」 「死ぬ奴相手にそんな無駄なことするわけねーだろ」 「ああ、そうですね。じゃあなんで、今日は優しいんですか?」 直球だ。変化球くらい投げればいいのに、不器用だな。私はそう思った。でも、同時にこうも思う。変化球が効果あるならともかく、相澤先輩相手にそんな効果はない。相澤先輩はそういうの好まない。 「おまえ、今日USJでかなり個性使ってただろ」 「……? ああ、そういえば」 「普段からお前は個性の使いすぎだ。疲労溜まって通常の業務にも支障が出てる。見ろ、こんな時間まで帰れないのはその所為だバカ」 「バカとか言わないでください。誰しもそんな効率よく動くことは出来ません」 「出来るように努力しろ」 「出来たらとっくにやってますよ」 可愛げのない返答ばかりで相澤先輩はため息をついた。ガシガシと頭を掻いて、こちらを見る。ああめんどくさそう。 「会話は後だ。さっさと帰るぞ」 「え、でも」 「送ってやるから早く来い」 きもちわるいなんて言ったら怒るだろうなあと思ってその言葉を飲み込んだ。心配してくれたのかなあなんて、己惚れてもいいのだろうか。でも、他の人にこんな優しく接してるところ見たことない。いつだって合理的。余計な期待を持たせることはしない。それなのにこれってことは、つまり、ゼロじゃないってことなんだろうか。 支度を済ませて鞄を肩に掛けた。相澤先輩を見ると、スタスタと職員室の扉を開けた。それに続く。真っ黒な伸ばしっぱなしの髪が揺れている。隣に行ってもいいだろうか。伺いながら、廊下を歩く。 「相澤先輩」 「なんだ」 「呼んだだけです」 「言いたいことがあるなら言え」 そっけないようで、優しいのはもうとっくに知っている。同僚として数年一緒に居ただけだけど、相澤先輩に一番近い女の人はきっと私だって自信があるくらい、近くにいる、と思う。その間ずっとお互い恋人なんていなかった。だから、もう随分と経験していない感情がむくむくと湧き上がってくる。きっと相澤先輩に言ったら、くだらないとか錯覚だとか言われるんだろうな。でも、それでもいいや。そんな掛け合いもきっと楽しい。だって、触りたい、なんて、思ってしまったんだ。そして、わたしのレンアイスイッチをオンにしたのは相澤先輩だ。責任は取ってくれ。 「わたし、優しくされたらほだされちゃうタイプなんです」 「……そうか」 「はい」 そうなんです。これは気の迷いでしょうか? ほだされてしまいたい気分。弱った女はちょろいって分かってるでしょう? 弱ってたというよりは、残業続きで疲労困憊が正しいけれど、でもきっと弱ってる。いらいらしちゃってる。だから。ねえねえ、こんなふうに突然優しくされたら、相澤先輩みたいな人相手だったら簡単に落ちちゃいますよ。 あと一押しありますか? それとも距離を取られてしまうのでしょうか? 「あー、お酒飲んでたらもうひと押しできたのに」 「バカか。お前残業中だっただろ」 「わかってますよう。相澤先輩が珍しいことするからじゃないですか。金曜だったらこのまま飲みに行きましょうよって言ったんですけど」 「今のおまえは絶対潰れるから断る」 「今誘ってませんって」 あーあ、やっぱりあと一押しはないのかなあ。のらりくらりと躱して、戦闘でも勝てないけど言葉でも勝てないんだなあなんて思った。いや、これは勝ち負けじゃないけど。 「……潰れたらラッキーとかないんですか」 「もし俺にその気があったら潰れねえくせに」 「よ、よくお分かりで」 「俺に襲われたいなら、少しは隙見せて、もうちょっと上手く誘ってみろ」 決して大きな声ではなく、そう言った。 びっくりして思わず足を止めた。え、ねえ、それって、もしかして 「早く歩け」 相澤先輩の声で止めていた足を進める。 可能性、やっぱりゼロじゃないんじゃないか。隙見せて、上手く誘ったら、もしかしたら、もしかするってことでしょう? 「今度襲ってもらえるようにがんばります」 「宣言するな、萎える」 「えっ!ご、ごめんなさい聞かなかったことにしてください」 そんな会話をしていたら、少しだけ相澤先輩が笑った気がした。 毎日へとへとでつまらなかった日常が一変。明日が楽しみなんて思えるんだから、わたしは単純な人間だ。相澤先輩とどうにかなれますように。そんなばかな想いを抱えて今日も一日が終わる。 2016.4.20 三笠 |