思いもよらなかった。こんな出会いがあるなんて
父親の顔は知らない。私が生まれる前に死んだと聞いた。
母親は丁度10年前に亡くなった。
それから、ずっと。たった独りで、生きてきた。

この生活が終わる日が来るなんて思っていなかったし、そんな日が来るとしたらどんな日だろう。そんなことを考えたことすらなかった。

だから私は、特別な想いなどなに一つ抱かず、銃を持った。


「海賊が何の用?」


お風呂上りで、肩にタオルを置いたまま、木の上からその人たちを狙う。
私は、その海賊旗を知っていた。
麦わら帽子から少しだけ覗く赤髪に、黒いマントの一人の男の頭を狙ったまま、人数を数える。
ひい、ふう、みい…、ざっと2桁はいて、冷や汗が頬を伝う。


「お。アンタがこの家に住んでるのか? ちょっと街への道を教えてほしいんだが」
「街は北西よ。今年は不作だったから大したものは期待できないし、貴方たちのような有名な海賊が行くような街ではないと思うけど」
「北西か。道はないみたいだが、歩いて行けるのか?」


答える方もどうかと思うけれど、実力でかなりの差がある人たちに対して反抗してもあまり意味は無い。
第一、敵意は全く感じなかった。
けれど、何があるか分からない。
警戒は解かずに、その人たちをじいっと観察した。


「街に向かうのなら、海岸線を歩いていったほうがいいと思う。森の中は滅多に人が通らないから入り組んでいるし、凶暴な動物も多いから」


そう言ったとき、森の中で狼が何匹も構えているのが見えた。
多分、夜なのに人の気配を多く感じて、住処が荒されると思ったのだろう。
いけない、そう思った瞬間に、そのうちの一匹が、走り出した。

急いで銃の方向を変えて、その狼の足元を撃つ。
海賊たちが気付いて武器を構える前に木から降りて、狼の前に立ち塞がった。
狼たちは足を止めたけれど、こちらが睨むと、退けというように吠えた。


「帰って」


少しの間唸っていた狼の内の一匹が、がぶりと私の腕に噛みついた。
歯が肉に食い込んで、血が噴き出す。痛みが体中に走って思わず叫びそうになったけど、唇を噛んで堪える。


「っおい、」
「…うるさい。黙って」


此処で抵抗したら、全ての狼を殺さなくてはならない。
私は、そんなことしたくはなかったし、少しの怪我で帰ってくれるのなら、そっちのほうがいいと思った。
自分の命に価値を感じたことはなかったし、もしも此処で狼にかみ殺されたとしても、なにかを護れて死ねるのなら、むしろ本望だと思えた。

ぐるる、とひたすら唸っていた狼たちは、そのうち根負けしたのか、全員が帰っていった。私の腕に、大きな歯型を残したまま。

ふう、と小さく息をついて、振り返る。
ああもう、なんで今日はこんなにも大変なんだろう。
さっき木から降りたときに肩のタオルは地面に落ちた。
未だに濡れてる髪が肩や背中に触れて、濡れて冷たい。
もう一度、銃を構えた。


「何で逃がしたんだ?」
「あの子たちは自分の住処を守ろうとしただけよ。なんで殺さないといけないの?」


血の流れる腕が痛む。
ああ早く家に戻って手当てをして、夕飯を食べて眠りたい。
そんな思いも彼には届かず、目の前の、赤い髪の男の質問は続く。


「じゃあ、なんで自分が殺されるかもしれないのに、奴等を守ったんだ?」
「私が動かなかったら、貴方たちはあの子たちを殺していたでしょう? 私が、私を殺す気がない貴方たちの前に出て、それであの子たちの命が助かるのなら、迷う必要なんてない」


そう言ったら、一瞬きょとんとして、それからちょっと間が開いて、赤髪が喉の奥で笑った。それから、大笑い。
なにが可笑しいのか分からなかったけれど、他の人たちはやれやれといった感じに赤髪や私を見ていた。


「お前、いい奴だな!気に入った!」
「…は?」


なんだ、こいつは。それが一番最初に思ったこと。
いきなり笑いだして、気に入ったとはどういうことだ。
にこにこにこにこと、全くと言っていいほど威厳がない。


「俺ァ、シャンクス。お前、名前なんつーんだ?」
「…ちょ、ちょっと待って。意味が分からない。私は海賊なんかと馴れ合う気なんてないんだけど」
「堅い事言うなって。いいじゃねえか、名前くらい」


あー…、と声を出しながら頭を抱える。
何なんだ、この人。
海賊のイメージと全く違うんですけど。
なんだか銃を構えるのも馬鹿らしくなって、くるっと回して向きを変えて、腰のケースに戻す。
顔を上げて、そいつに視線を戻した。


「…
? それがお前の名前か?」
「えー、そうよ。つか、なんなのアンタ。海賊って皆こんな感じなの?」


周りが苦笑して首を振っているのを見て、海賊の中でもこの人は特別おかしいんだなあ、なんて思った。
わざと突っかかっているのに怒りもしない。なんなのこの人。


「海賊なんて言っても、皆一緒じゃねーよ。俺は俺だ!」
「はァ…」


にっこり笑われたって、なんの親しみも湧きやしない。
久しぶりに人と話したっていうのに、意味が分からない。
また珍しい人種と出会ってしまった。


「…街に、何の用なの?」
「お?」
「言っておくけど、街なんて呼べるような場所じゃないわよ。集落と言った方が正しいくらい。店もそんなにないし、余所者は歓迎しないから、気分を悪くするかもしれない」


街の様子を思い浮かべるだけで、どうにも嫌悪してしまう。
私は年に一度行くか行かないかぐらいだけど、あの街は自分のことしか考えていない人たちの集まりみたいなもの。


「酒はあるか?」
「お酒は高級品。なにか行事の時に纏めて出すから、今の時期はあんまり置いてないんじゃない?」
「んー…、酒がないっつーとなあ…」


悩んでいる様子の赤髪を見て、地下の酒樽を思い浮かべた。
私はお酒を飲もうとしたことすらないから、未開封のまま、何年も放置されている。
確かお酒には賞味期限はないと思ったけれど。


「…酒が欲しいの?」
「ん? おお。あと食糧なんかも調達しようと思ってな」


その言葉を聞いて、ちょっと首をかしげる。
昔、母に少しだけ聞いたことがあるけど、一つ前の島は、この島よりもずっとずっと大きくて、街は凄く賑やかのはず。
だから、この島で食糧の調達をする海賊なんて殆どいないはずなんだけど。(この島は小さい上に上陸しなくてもログが溜まってしまうから、殆どの海賊は素通りしてしまう。襲われる危険性が少ないから、いいと言えば、いいんだけど…)


「前の島では調達しなかったの? 私は行ったことないけど、結構大きな島なんでしょ?」
「したさ。したけど…、なあ?」


赤髪が後ろを振り返って、何人かが苦い顔をして頷いた。
なにがあったのだろうかと思ったけど、まあ、どうせくだらないことだろうと思って特別聞こうとは思えなかった。


「…まあ、いいけど」


未だに水の滴る髪から、シャツが濡れてしまって冷たい。
長い髪は腰の近くまであり、なかなか乾かないけど、でも今はそれよりもさっき負った怪我の方が優先である。
腕からは絶え間なく血が流れている。ああ早く止血しなくちゃ。
地面に落ちていたタオルを拾い、ついていた土をはたいて、奇麗になったところで腕に巻きつける。


「…じゃ。私はこれで」


そのまま人のいないところを通り、振り返ることもせず、ドアを開け、家に入った。
別に害はなさそうだし。


「って、帰るのかよ!」


間抜けな、底抜けに明るい声が、家の中にまで響いた。






2010 3 30 三笠