御頭、誕生日おめでとう!



「もう…っ、もう、なんで言ってくれないのよ、ばか、ばかっ」


何を呟いても、時間は戻らない。
ただひたすら頭と足を動かす以外に、彼女の悩みを解決する術はないのである。
だからこそ、彼女は夜の街をひたすら駆ける。





とくべつな、日





雲がなく美しい星空。賑やかな島。
長い航海を経て、実に1ヶ月ぶりの陸地に赤髪海賊団の面々はどこか浮かれていた。
到着した時点で既に夕焼け空となっていたためか、船長のシャンクスは来て早々に船員たちを引き連れ、酒場で宴会を催していた。
海の上にいる時でさえ、毎日のように宴会を繰り返している面々は、飽きもせず酒を呷り、つまみを幾つかつつきながら、煩いほどに騒いでいた。

そんな中、いつもと違うことが一つ。
それは、比較的安全地帯と呼ばれる、副船長のベン・ベックマンの隣の椅子が空いていることである。
いつもならば、御頭の恋人であり、酒の飲めないが座っている席なのだが――、その彼女は今、その席にはいない。
それは何故か?その答えは1日前に遡ることになる。



「そういえば、。明日はどうするんだ?」
「明日?明日ってなにかあったっけ?」


夕飯を食べた後、は船首で星を見ていた。
それは彼女の日課であり、船員の誰しもがそのことを知っている。
だからこそ、ベックマンはを捜すことに苦を感じることはなかったし、“ちょっと気になったから”という軽い気持ちで彼女の元に立ち寄ったのである。
そして、「明日の予定」について訊ねた。もちろん彼女の答えはすぐに返ってくるだろうとベックマンは考えていたし、その意味もすぐに理解されると考えていた。
しかし訊ねられたはその問いに対して首を傾げるばかり。
ベックマンはその態度を見て、首を傾げ返すことになってしまった。


「おいおい。何を言ってるんだ。明日は御頭の誕生日じゃねえか。お前のことだからてっきり何か用意しているもんだと…」
「誕生日…? シャンクスの…!?」
「お前、まさか知らなかったなんてこたァ…」


ないだろうな、と続けようとした口を、思わず噤んだ。
目の前の、気丈な彼女が、唇を噛み締めて、少しだけ俯いていたからである。


「…知らなかった」


ぽつりと呟いたその言葉は、とても小さく、目の前のベックマンでも聞き取ることに苦労するほどだった。




+++




そして、今に戻る。
彼女は街に着いてすぐに街に駆け出した。
人の波に呑まれるように、誰にも見つからないようにこっそりと。
誰にも――、特にシャンクスにだけは見つからないようにと注意して、誕生日に相応しい祝いの品をと、彼女は駆け出したのである。


「…誕生日プレゼントなんて、渡したことないし」


泣きそう、という言葉は、外には出さずに飲み込んだ。
もう夕飯の時間であるから、既に店を閉じている者もいる。
そんな中で開いている店を覗き、シャンクスの喜びそうな物はないかと捜すことは、精神面をじわじわと疲弊させる。
「今日」はあと数時間で終わるというのに、このまま何も出来ずに終わるのか。
そんな考えを振り切るように、彼女は街の中を駆ける。
愛しの彼の笑顔が見たい、ただその考えを胸に抱えて。




+++




「なァ、ベック。そういえばはどうしたんだ? 島に着いてすぐにどっか行っちまったけど」
「なんだ、気付いていたのか」
「当たり前だろ」


既に宴会は最高潮にまで盛り上がっている。
歌いだしたり踊りだしたり、椅子に座らないで騒いでる奴等も多い。
ベックマンのテーブルは既に彼以外に居らず、彼の正面の席にシャンクスは腰掛けた。
持ってきた酒を思い切り呷り、喉仏を鳴らしてそれを飲み干す。
その勢いのままドン、と空になった容器をテーブルに叩きつけるように置く。


「っはー、うめェ! この島特産の酒らしいんだが、中々イイ酒だな」
「ああ、確かに美味い。けど、にだけは飲ませンじゃねーぞ」
「分かってるって。アイツは酒に滅法弱いからな」


既に中身のない容器を揺らしながら、シャンクスはその目をベックマンに向けた。
明らかに酔っているはずなのに、そのときのその瞳には力があった。
それを初めて見る人間は思わず慄いてしまうような、畏怖を感じてしまうような。
長年ともに海賊をやってきたベックマンにとっては、恐怖を感じるようなものではなかったが。


「で、そのは何処に行ったんだ、って話だが」
「…そう恐い顔してんじゃねえよ、御頭。の居場所は知らねーが、目的は知ってる」
「目的?」


シャンクスは思わず眉間を寄せた。
さっきまでの眼力は引っ込められ、わけがわからないとでも言いたげなその姿にベックマンは肩を竦めた。


「目的ってなんだよ」
「…一応、口止めされてンだが…」
「構わねェ。俺が無理矢理聞きだしたってことにしておけ」


ベックマンは、一つ小さく息をついた。
それじゃあ口止めした意味がねえだろうが。そう思ったが口にはしなかった。
銜えていた煙草を指で挟んで口から離し、そのまま白い息を吐き出す。
そして大分短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


はアンタの誕生日プレゼントを買いにいったらしいぞ」

「………………………………はァ?」


長い沈黙のあとの、呆れた声と表情。
そして、脱力したかのようにシャンクスは前のめりになってテーブルを軋ませた。


「…そういやァ、今日は俺の誕生日…か…?」
「まだ疑問系かよ」
「つーか、今日は何日だ? 3月9日か?」
「そうだ。アンタ、毎日航海日誌書いてンだろーが」
「日にちなんか、いちいち覚えてねーよ」


酒の所為ではなく、シャンクスの頬は少しだけ温度を上げた。
テーブルに覆いかぶさるような体勢では周りからは見えないが、その顔は先ほどまでとは異なり、少しだけ緩んでいる。


のヤツ…、俺の誕生日祝いてェなら酒の席に付き合うだけで充分だっつーのによォ…」
「なんか形に残るモンが良かったんだろうよ」
「…アイツらしいっちゃ、らしいけどな」


ふうと暗いものではない息を吐いて、シャンクスは立ち上がった。
その顔はだらしなくにやけていて、ベックマンを見下ろしていた。


「じゃ、ちょっくらお姫様を迎えに行ってくるから、あとは頼むな」


仕方がないから、という体面を装っておきながら、シャンクスの顔はどうにも楽しそうに見える。
船員たちが楽しげに騒いでいる中、彼は宴会から姿を眩ました。




+++




「………何の用でしょう」


街の片隅の、あまり人が通らない静かな場所であるためか、彼女の声はよく通った。

彼女は、自分の身長よりも少々上を見上げている。
その空気はどこか剣呑で、彼女の瞳は釣りあがって、眉間にも皺が寄っている。
視線の先には、優男が2人。
特に品がいいでも悪いでもない、どこにでもいそうなその2人は、彼女の前に立ち塞がっていた。

分かりやすくこの状況を表すとすると、彼女は今、現在進行形で男性に絡まれているのである。


「こんな場所でさァ、お姉さんみたいなイイ女見かけたら声かけずにはいられねえだろ?」
「…申し訳ないですけど、急いでいるので退いていただけますか?」
「おおっと、つれねェなあ」


彼女は頭を抱えた。
もっとも、頭を抱えたと言うのはあくまで比喩表現であって、そう気取られないように彼女はそっと息を吐いた。
実力行使はあまりしたくはない。
けど、穏便にこの場を抜けられるかどうかというと、答えはNOである。
彼らはきっと、私を易々と逃がしはしないだろう。
私は、悪魔の実の能力者でもなければ、特別優れた運動神経を持っているわけでもないのだから。


「お姉さん、そこにイイ店があるんだけど、一緒に行かないか?」
「そうそう。一緒に気持ちイイことしようぜェ。俺ら2人で誠心誠意お姉さんに尽くしてやるからよォ」


下卑た言葉が混じってきて、苛立ちから眉がつりあがる。
しかし、めんどくさい、という本音が口から滑り落ちなかっただけでも幸いとでも言うべきか。
彼女は、この時点で既にうんざりしていたのだ。


「な? だから早くホテルに…「なァ、。宴に来ないと思ったら、こんなところで何してんだ?」


片方の男が、彼女の肩に手をかけた。
そのときに聴こえた声に、彼女が肩を震わす。
2人の男は声の聞こえた方向――即ち背後を振り返る。
そこには、夜の暗さで昼間よりは目立たないものの、燃えるような赤い髪の男がいるのが分かった。


「あァ?なんだァ?知り合いか?」
「…そいつは俺の女なんだ。返してもらえるか?」
「なに言ってんだお前。こいつは今夜俺たちの相手をしてもらうって決まってんだよ、邪魔すんじゃねえよ」


いつ決めたのだと、彼女は心の底からそう思った。
しかし、すっかり酔いが回っている男にそんなことを言っても通じないだろう。
赤髪の男の登場は、彼女としても、男たちにとっても予想外のことであった。
彼女の口は少しだけ開いたまま、未だに言葉を紡がない。
何を言ってよいのかひたすら考えているが、良い言い訳が思いつかないのである。


「そうか。でも、お前等の予定はそうでも、そいつは俺が今から連れて帰るんだ、悪ィが、他の女を捜してくれないか」
「あァ!? てめぇ、なに言ってやがる!」


短気な男が赤髪の男に殴りかかった。
しかし、赤髪の男は殴りかかってきた男の拳を避け、お返しとでも言うように右の拳をそいつの腹に叩き込んだ。
否、赤髪の男にとってそれは本来の力の何十、何百分の一程度の力でしかなかったから、叩き込んだという表現はおかしい。
しかし、彼にとっての軽い突きであっても、大の男一人の意識を飛ばすことになんの苦労もなかった。
兎にも角にも、その拳によって一人の男はいとも簡単に倒れこんだ。


「ひっ、な、なんだ、てめェ…ッ」


彼女に背を向けていたもう一人の男は、背後への注意を怠った。
赤髪の男への恐怖のみを感じていて、女の動きを見る隙などなかった。
もちろん、気付いていて避けれたとも思えないのだが。

彼女は、自分の一回り以上大きな身体を持つ男の首を見上げる。
そして、そこへ向けて、思い切り黒い機械をぶつけた。
俗に言う、『スタンガン』である。

ビリッと電撃が音を立て、男は一瞬で気を失った。
小さな焼け跡が男の首に残り、その場に立つ者は、彼女と赤髪の2人きりとなった。


「…そんなもん、持ってたか?」
「ベックがくれたの。たまにはこういうのもいいだろって」
「んー…、そりゃぁ、町中でナイフ振り回すよりはいいかもしれねェけどよォ…」


スタンガンの電源をオフにして、彼女は持っていた鞄にそれをしまう。
そして、ゆっくりと赤髪の元へと近づいた。


「…なんで、こんなところにいるの」
「なんでって、お前を探しに来たからだろ」
「今って、宴の最中でしょ…。それなのに、抜け出してくるなんて」
「お前がいねえと、宴もつまんねーからな」


赤髪の男――改め、シャンクスは、ゆっくりと彼女の髪に手を伸ばす。
空色の彼女の髪は絡むことなく彼の指をすり抜けた。


「…なァ、お前はなんでこんなところにいたんだ?」
「ベックに、訊いてないの」


彼が宴を抜け出すというなら、副船長であるベックマンに必ず一言残すはず。
そしてその際、彼はベックマンに尋ねるはずだ。「が何処へ行ったか知らないか」と。


「訊いたさ。でも、お前の口から訊きたい」


なんで、そんなこと言うの。
彼女はそう思った。そして言いたかった。
けど、口は開かない。彼女が次に言うべき言葉は、そんな陳腐な言葉ではないのだから。
彼は彼女の髪を撫でる。
ゆるゆると、優しく。そして彼女を一心に見つめた。
その視線に耐えられるはずもなく、彼女はそっと目を伏せる。


「…シャンクス、」

「ん」


漸く開いた唇は、少し震えて。
そして彼女は視線を少し上に向ける。
彼の視線とそれは交わって、互いが互いを見つめる。
彼女の頬に少しだけ朱が混じり、彼女の喉がこくりと音を立てた。


「お誕生日、おめでとう」
「…あァ、ありがとう」


そう言って、彼は彼女を撫でていた手をずらし、彼女の頬を包み込んだ。
彼女と一度見詰め合って、そして彼は、彼女の唇に自分のものを重ねる。
ゆっくりと、何度も何度も、角度を変えて重ねあう。
触れるだけの口付けは心地よいものの、それだけではまだ足りない。
彼女の指が、彼の黒いコートを摘んだ。
彼に伝わるか伝わらないかという程度に軽いものだったが、彼はそれに気付く。
そして、頬に当てた手を彼女の後頭部に回し、より一層深く交わった。
舌で彼女の口を割り、薄く開かれた口内に侵入する。


「っふ、ぅ」


彼女の口の端から唾液が零れた。
しかし、そんなものに目もくれず、彼は彼女の口内を貪り続ける。
歯の裏側を、口内の表面を、ねっとりと撫で上げ、そして彼女の舌と自分の舌を絡める。
ひくひくと彼女の膝が震えことに気付きながらも、あえて止めることなく、彼女の舌の裏を撫で、舌で舌を突いてやる。


「んっ、ん、ふっ、 はぅ」


震える膝ではこれ以上自身を支えていられず、がくん、と座り込んでしまいそうになった。
しかし、シャンクスの腕が彼女の腰を支えたため、それは避けられた。
離れた唇は目に見えて潤っており、彼女は苦しげに呼吸を繰り返していた。
彼に限っては、なにひとつ乱れてはいなかったけれども。


「なんだ、立っていられないほど気持ちよかったのか?」
「なっ、ち、違う…!」
「ふーん、じゃあ、この手を離しても立っていられるよな?」
「ぁ、や、やめ、待って」


縋りつくように、彼女はしがみつく手に力をこめる。
彼の手は少し力を緩める素振りを見せたものの、離れることはなかった。
シャンクスは薄く笑みを浮かべながら、彼女を支える。


「…で、どうする? 宴に戻るか?それとも、宿に行くか?」
「…宿って、なによ。船じゃないの?」
「たまには2人きりで過ごすのもいいと思ってな。この街で1番大きい宿屋の部屋を取っておいた。…ああ、でも、そこに転がってる奴等が行くようなホテルじゃなくて、ちゃんとした宿だからな。安心しろよ」


まァ、やることは変わらねえかもしれないがな。そう、彼が彼女の耳元で呟くと、彼女の顔は目に見えて赤く染まった。
そのうち彼女の呼吸も整ってきて、彼女は自力で立てるようになった。
それを確認すると、シャンクスは支えていた手を離す。


「…宴がいい…。その、凄く申し訳ないんだけど…、お腹空いちゃって…」
「ん? ああ、そういやまだ晩飯食ってねえのか。宿でも食えるけど…」
「ううん、宴がいい。シャンクスの誕生日、ちゃんとお祝いしたいし」


彼女は自分の鞄に手を伸ばす。
そして、彼女の手のひらに納まるくらいの、小さな箱を出した。
鮮やかな橙色の包みにくるまれて、中身は判別できない。


「…知ったの、昨日だったから。ちゃんと用意できなくてごめん」
「なに言ってんだ。俺は、お前が祝ってくれるだけで充分なんだよ。すげえ嬉しい。大切にする」


二カッと、彼は嬉しそうに笑い、彼は彼女の手からプレゼントを受け取った。
彼女は、照れくさそうに顔を背け、けれども彼の嬉しげな様子を同じく嬉しそうな様子で微笑む。



それから、彼と彼女は、仲間のいる酒場に戻り、夜が更けるまでひたすら飲み食い騒ぎをする。
彼らの仲間が船に戻りゆっくりと睡眠をとっているとき、宿でなにをしていたかは、また別のおはなし。









御頭、誕生日おめでとうございます!
3月9日に間に合ってよかった…。
もう、本当に大好きです愛しています。

今年こそ、現在のあなたが本誌に再登場しますように。
ずっとずっと応援しています。

ではでは。



2010 03 05 三笠