たとえば好きな人がいたとして。 その人の誕生日が間近に迫っていたとして。 女の子なら当然、彼の誕生日を祝いたいと思うだろう。 …ただし、海の上では祝う術も限られてしまっているのだけれど。 3月9日――私の想い人である赤髪のシャンクスの誕生日は、丁度航海中の出来事となった。 ―――なんて、そんなことは予想の範囲内。 既に一年以上も海賊をやってるんだもの。1〜2週間次の島に着かないなんてことはむしろ当たり前だって分かっていた。 だからこそ、前の島で必死になって極上のお酒を探した。毎日のように宴を開いて、毎日のようにお酒をがぶ飲みして、毎日のように二日酔いになっているお頭の一番喜ぶものはお酒に決まってる。うん、きっとそうだ。そうに違いない。 誕生日の前日、深夜23時50分。 お頭の誕生日祝いの宴は、当日――つまり明日行われる。 だから今日は宴はお休み。前祝いをやるかと思ってたけど、明日のためにお酒を残しておくみたい。 お頭は船長室に戻っている。私は緊張してどくどくと脈打つ心臓のことを考えないようにしながら、息をついた。気合いをいれて、船長室のドアをノックする。 コンコン。 既に眠っていたらどうしよう。そう思わなかったわけじゃない。深夜にお頭の――おとこのひとの部屋に訪ねるのはどうかと思わなかったわけじゃない。 でも、可能ならば一番に祝いたかった。好きだと伝えることはできなくても、お頭の誕生日のお祝いをしたかった。 重たい酒瓶を抱えながら、お頭の返事を待った。 「―――入れ」 「!」 少し間が空いて、あれ、もしかして寝てたかな、と思った。 けど今さら引き下がれないし、そっとゆっくり、冷たい金属のドアノブを捻って、ギシギシと軋む木製のドアを押した。 「し、失礼しまーす」 部屋の中はぼんやりと明るい。月明かりは届かず、机の傍の豆電球が唯一の光源のようだ。お頭は机の傍の椅子に座って、ちびちびと何やら酒を飲んでいた。暗い中でもお頭の燃えるような赤い髪はよく見える。 「なんだ、か」 「あ、はい」 「どうした?なんか用か?」 どくんどくんと先ほどから血液が体内を速く速く駆け巡っている。それが伝わらないといいなあ、なんて。きっと不可能に近いであろうことを考えた。だって、お頭はなにも見てない振りして、何にだって気付いてる。それはたぶん、本能のようなもの。野生の勘。 「ええと、用といえば、用です。私用ですけど」 お頭は机の横から、簡易用の木製の、背もたれすら無いスツールを取り出して目の前に置いた。「来いよ、」と声をかけられたら、それを遠慮することなどできない。小さく頷いて、お頭のすぐ傍に座った。抱えた酒瓶の中で液体が揺れてちゃぷんちゃぷんと音を立てた。 「フライング、なんですけど」 「ん、」 「お誕生日、おめでとうございます」 両手で酒瓶をお頭の前に差し出す。お頭はゆるりとした仕草で、飲んでいた御猪口を置いて酒瓶を受け取った。受け取った酒を縦にして、きっと銘柄を読んでいるのだろう、視線は上から下へと流れた。 “前にいた島で一番良い酒”ということが自分の中で自信となっている。これならきっとお頭も満足してくれるって。お頭と同じ酒など(度が強すぎて)飲んだことのない私は味で判断できない。一番人気って評判に信頼を置くしかない。 …と、ここでふと視界に入ったもの。お頭が先ほどまで飲んでいたお酒。御猪口、そして酒瓶―――― え、と思わず声が出た。あれ。嘘。まさか。視線を何度か横にずらして確認する。同じ大きさ、同じ色、同じ銘柄の、酒瓶。 「え、え、」 「偶然だな。おんなじ酒だ」 「ちょっ、うそ、まさかお頭、前の島で」 「ああ、美味そうだったから、つい、なァ」 飲んでみるか?とお頭は言った。でもそんな言葉に簡単に頷けるほど、私のショックは小さくなかった。――だって。だって!年に一度の誕生日プレゼント、喜んでもらうどころか、既にお頭が持っているものだったなんて! 嗚呼、ああ。もう一つ前の島で買えばよかったのかな。でも、あの頃はお酒の消費期限はすぐ近くにあるものだと思っていたんだもの…。今はさすがに違うけれど。 「う、わあ…、なんか、その、えと…すみません」 「なんだ。被ったっていいじゃねェか」 「…嫌ですよ。今飲んでいるものを貰ったって、嬉しくないでしょう?」 「そんなことねェよ。予想通り、一級品の酒だ。多く飲めるのは素直に嬉しい」 緊張も高揚も一切消えてなくなって、意気消沈。だって、だって。なんでお頭が既に持っていることを考えなかったのだろう。しゅんとした私を前にして、お頭は無言で酒瓶を机に置いた。そしてお頭の手が私の頭に触れた。マメが潰れて硬くなった、ごつごつした手の感触が分かる。この手でどんなに多くの人を救ってきたのだろう。どれだけ多くの人を傷つけてきたのだろう。そんなこと、今さら考えたってキリがない。そんな手が、(たぶんだけど)慰めるために私に触れてる。そのことに、沈んだ気持ちがゆるゆると上昇しているのがわかった。ああもう、私はなんて単純なの。 「そう気を落とすな。誕生日にがわざわざ祝い酒を持ってきてくれたんだ。それだけで充分、俺は幸せ者だ」 「…お頭が、そう言うのなら」 「ああ。どうせ誕生日を祝ってくれるなら、沈んでるより笑ってくれたほうがいい。 ありがとうな」 そう言ってお頭は、私の頭に触れた手をするりと後頭部にまで下げた。そして、あれ、と思うのと同時に、視界が少し暗くなった。アルコールの匂いが、くん、と鼻にかかる。額に触れたのは、唇。 「…っ、」声にならない声が喉の奥から飛び出した。肩がひくりと震えた。体温が一気に上昇する。あれ、あれ。ど、どういうこ と なの。 どくん、どくん。心臓、がうるさい。や、違う。心臓だけじゃない。体中の血液が、沸いてしまってるんじゃないかって。そのくらい身体が熱くなって、震えそうになった。気を抜いたら涙が出そうだと思った。 離れていくお頭の顔。身体。見上げると、にやりとお頭は意地悪く笑った。 「まさかこんな夜中にお前が一人で酒持って俺の部屋に来てくれるとは思ってなかった」 「た、…た、たんじょう、び、だから、 です」 「まあ理由なんてどうでもいいんだ。なァ、つまり、そういうことだろ」 ソウイウコト。それがどんな意味をもつか知らないほど私は子供じゃなかった。でも、お頭とそういうことを考えたことがあるかというと、ああえっと、無い、とは言えないや。ある。ある、けど。でもこんな突然に。告白もしてないのに、そんなふうになるなんて思ってなかった。ううん、今でも思ってない。 「誕生日プレゼントは、酒だけか?」 「…う、」 「なァ、おれはもうひとつ、欲しいんだ」 またゆるりと近づく、瞳、唇。麻痺した鼻は酒の匂いだけを伝えてくる。 お頭の真っすぐな双眸から目を離せない。このまま流されてしまうのかもしれない。それでもいいかもしれない。熱は思考を単調にさせた。 「…、」 熱を持った声が、私の鼓膜を震わせた。呼吸すらうまく出来ていないだろう。ようやく吐いた息はやはり上手く吐き出せなくて、はふ、と籠ったような白い息が溢れただけだった。 身体が熱い、熱が下がらない。酒が入ってるからって、こんなふうにお頭に絡まれたことはなかった。ああ、ああ。どうしたらいい。ここで目を瞑ったらお頭とキスできるかもしれない。でも、でも。まだ完全に途切れていない理性が頭の片隅でつぶやいた。“所詮これはお頭の戯れなのよ”って。 お頭の掌で踊るのならそれもいいかもしれない。でも、思い通りに踊らされてるだけなのは悔しいから。靄のかかった頭で、熱を持った唇で、小さく小さくつぶやいた。 「 わたし、おかしらのこと、すき、です から」 面倒な女だと思ってくれればいいと思った。こんなときにこんな言葉を吐くような、恋に焦がれた、ばかな女。遊びだと割り切れない、恋っていう浪漫を求めたばかな女。海賊になりきれない、あなたに焦がれているばかな女です。 興ざめするかなって、ぼやけた頭でふと思った。 お頭はどんな女が好きなんだろう。少なくとも、こんなときに好きだの愛してるだの言う女じゃないだろうなって、思った。 そしたら。ああ、なんでなの。お頭はふっと笑みをこぼした。そして、後頭部に回していた手を肩に移動させて、ぐっと引き寄せられた。どん、と結構な勢いでぶつかったのは、お頭の、胸板。 「え、」 「やっと言ったな」 「ちょ、お頭…?」 意味がわからない。さっきまでのキスをしようとでもいうような雰囲気はどこへ行ったのだろう。ぎゅうと強く抱きしめられた。温かかった。優しかった。私も意味がわからないまま、そっと手をお頭の服の裾に伸ばした。 「お前の誕生日まで待てる気がしなかったからな。俺もお前が好きだ。愛しい。俺の、女になってほしい」 嗚呼。疑う余地などない。真摯な瞳はしっかり私を見つめていた。 一言一言があたたかい。優しく私を包み込んだ。こんなに嬉しい言葉が他にあるだろうか。お頭の誕生日だというのに、私がこんなに幸せでいいのだろうか。私は、私をお頭に捧げると同時に、お頭そのものを頂いてしまったのだ。 恋と呼ばれる冒険の、幾多ある内のひとつの分岐点 いとしい。いとおしい。 好きとか大好きとか、そんな言葉で言い表せなくなった。ああ、この瞬間にも、彼に焦がれて愛しさが募っていく。 2011.03.09 [by三笠 cus:http://cus.michikusa.jp/] シャンクス、お誕生日おめでとう! かんのちゃんに便乗して、2011/03/09〜2011/03/16の間はフリー夢とします。ただし、[by三笠 cus:http://cus.michikusa.jp/]の文字を消さないようにしてください。 |