一方通行の恋2





月が沈んで太陽がまた昇る。
私は、昨晩の会話をしてから一睡もできず、自室が明るくなるまで布団に包まってずっと考え続けていた。
お頭のこと、私のこと、副船長のこと。

夜の冷たい空気と、お頭に告げられた時に火照った頬の温度差を、今でも思い出す。
外は寒くて呼吸が白くなるほどだというのに、そのとき確かに、私の身体は熱を持っていた。

とにかくもう一度頭を冷やそうと思い、部屋の外に出て朝焼けの綺麗な空を見た。
すると、今朝の見張り番だったのか(偶然にもほどがあるけれど)丁度副船長が見張り台から降りてくるところだった。
眠たげに欠伸をしながら、副船長は自室の方へと向かう。
私は慌てて声を出した。


「副船長、」
「ん。…ああ、か。今日は随分早いな」


おはよう、と言う副船長に、おはようございます、と返す。
たったそれだけの会話が、いつもは凄く嬉しくて楽しくて心地よくて。
でも、今日はなんだか違った。いつもみたいなときめきはなくて、その代わりに気になるのは、―――お頭のこと。


「どうした? なんか元気ないな」
「い、いえ。そんなことないです」


そう答えたものの、どうにも落ち着かない。
副船長も訝しんでる。私は混乱して、何を言っていいのかわからない。


「もしかして、船長のことか?」
「えっ」
「昨夜、あの人は“に告白してきた”って言いに来たぞ」


一気に、顔に熱が集まった。ちょっと待って。どういう神経しているの、お頭は。それをわざわざ副船長に言う理由はなんなの。
副船長のことは、仮にも私の想い人だと、私もお頭も認識している人なのに。恥ずかしいやら混乱するやら訝しいやら、ああもうなんだか理解できない。これって一体どういう状況なの。


「そ、それは…その、」
「…まあ、お前の好きなように返事すればいいさ。俺がなにか言う理由もないだろ」


そう言われたとき、なんだか心臓がぎゅっと締め付けられるような気がした。
なにか言ってくれるんじゃないかって、期待してた。
もしかしたら、お頭の誘いを断れって言ってくれるかもって、思ってた。


「ふ、副船長は、どう思うんですか」
「なにがだ」
「その、私とお頭が、もし、その…お付き合いするようになったとしたら、どう思うんですか」


そう訊いたら、副船長は銜えていた煙草を口から離し、長く息を吐いた。
白い煙が上へ上へと昇って消えていく。
それを吐ききった後、副船長の視線は私を捉えた。



「…っは、はい」
「お前はなんて言ってもらいたいんだ」


副船長は、そう言い放った。視線が交わって、どきりと心臓が高鳴った。
全部、見透かされていた。そのことに、後ろめたくなって、心臓が早くなった。
ありふれた恋愛小説みたいに、行くな、と言ってほしかった。好きだと言ってほしかった。私が好きで好きでたまらなかった、副船長に。


「…ごめんなさい」
「なんで謝る。俺は、お前に謝ってほしいなんて思っていない」
「知っています。でも、ごめんなさい」


私は、あなたの気持ちを無視していました。
罪悪感に潰されそうになる。羞恥心で逃げ出したくなる。けど、竦んだ足は、それすらも許してはくれない。
なんで気付かなかったんだろう。私は、少女漫画の主人公ではない。好きになった人に好いてもらえる保証なんてない。それなのに、貴方が私を好いてくれればいいと。身勝手な妄想をしていた。貴方に声をかけたのは、私の都合の良い妄想の所為。きっと貴方が答えをくれるって。私が望んでいる答えをくれるって、そう、期待してた。甘かった。
そう認識したら、ぎゅっと心臓が締め付けられるような気がした。目が熱くなった。すごく、痛い。


「わからないんです」


嗚咽を噛み殺しながら搾り出した言葉。
涙が溢れそうなのを必死で堪えて俯いて、それでようやく口に出した。
わからない、わからない。
私が誰を好きなのか。私はどうしたらいいのか。
好き、ってことが。こんなに重く感じる日がくるなんて、思っていなかった。

副船長は、困ったように頭を掻いた。
そして、ふっと息を吐いた。視線が、私に降り注ぐ。私は、服の袖で涙を拭って、顔を上げた。


「じゃあ、物は試しってやつだ」
「え…?」
「俺と、キスでもしてみるか?」


どくん、と心臓が高鳴った。ずっとずっと憧れていて、恋焦がれていた副船長がこんなことを言いだすなんて。
でも、すごく嬉しいし待ち望んでいたはずなのに。
それなのに、なんだか心臓がきゅっと痛くなった。どうしてだろう。脳裏に浮かんだのは、船長の笑顔。

副船長の手が、私の頬に触れた。軽く上を向かせて、視線を合わせる。副船長は、空いた方の手で煙草を持ち、そっと顔を近づけてきた。


「…、ま」


煙草の匂いがほんのりと香った。待って、と言いそうになった。
でも、それを言っていいのか、私はどうしたいのかどうされたいのか分からなくなって、ひどく混乱した。既に頭の中はぐちゃぐちゃで、止める暇もなく、ぼろりともう一度私の目から涙がこぼれた。


「………ほら、嫌だろ」
「い、嫌、じゃ、ない、です…っ」
「いいや。お前の相手は俺じゃない」


副船長の手が、優しく涙を拭ってくれる。自分でも、服の袖で強引に目を擦った。痛い。沁みる。いろんなとこに涙が沁みた。
好きだったのに。あんなに好きだったのに、私の想いは船長の一言で覆ってしまうような簡単なものだったんだ。そう考えたら悲しくなった。


「わ、たし。私、ほんとに、副船長のこと、」
「…いい、分かってる。ずっと前から気付いてた」


優しい。必要なことを必要なだけ、私に注いでくれる。
けど、それは愛情じゃない。恋愛感情からじゃないんだ。仲間として。副船長として。
時としてすごく残酷な、優しさ。


「けど、な。今は違うんだろ。人の感情なんて変わるものなんだ」


はい、と言葉にならずに口だけ動かした。俯いた顔は、きっと涙でぐしゃぐしゃだ。
副船長の言葉が、心に沁みた。私の心変わりを指摘されたら、もう何も言えない。痛かった。だって、ただの失恋じゃないんだもの。私の心変わり。そんなの、なんのフォローもできない。


「特に、あの人はそういうのが得意だからな。なんだかよく分からんが―――。人を惹きつけるってことに長けてる。…どうせ俺もその口で此処の副船長やってんだ。お前のことを言える立場なんかじゃない」


ぐすぐすと鼻を啜りながら顔を上げた。
副船長の言うことは正しい。フォローする言葉だって甘くて優しい。
でも、それにばっかり頼っちゃいけないって分かった。仲間だって、船員だって、甘えてばかりはいられない。


「大体、俺はお前が俺のことを悪く思ってない、ってことにはずっと前から気付いてたんだ。…でも、それを見ない振りして今まで放置してきたのも事実なんだ。だから、な」


涙を全て拭って、副船長を見上げる。
副船長は私の目をしっかり見て、言葉を紡ぐ。
私も、その言葉に耳をすませた。


「お前もいい加減、俺なんかよりお前のことを真正面から見てくれる奴の方を向いた方がいい」


はっきりとした、拒絶。
ぎゅうと胸が締め付けられたけど、そんなことは自業自得だ。自分でちゃんと受け止めたい。
副船長の手が、私の髪に触れた。引っかかるでもなくするすると、私の髪は副船長の指の間を抜けていった。


「俺みたいな卑怯な奴なんかじゃなくてな」


ふっと笑みを浮かべて、副船長は自室へと戻って行った。







今日も晴天。青い空に白い雲。風も強くなくて、船は順調に進んでいる。
船長室の木製のドアを、何度かノックした。
入れ、なんてちょっと素っ気無いお頭の声。
緊張で心臓がうるさい。けど、一度息を呑んで、部屋に足を踏み入れた。
船長室は少し湿っぽくて、少しラム酒のにおいがした。もしかして夜はこの部屋で呑んでいたのかも知れない。


「お頭」
「ん。か」


航海日誌でも書いていたのかもしれない。
珍しく(と言えるほどこの部屋にいるお頭については知らないけど)、真面目そうな姿。机に向かい、元々利き腕ではないほうの右手で文字を綴っている。
カリカリと文字を書く音が響き、そのうちひと段落着いたのか、お頭は顔を上げこちらを向いた。


「副船長と話してきました」


そう言っても、お頭は表情一つ変えず、そうか、と一言だけ言った。
本当にこの人は私のこと好きなのかな、なんて思ったけど、


「私はまだ、よくわかりません。お頭のことが好きなのか、副船長のことが好きなのか、それとも両方好きじゃないのか」


お頭の視線が私を射抜く。
私は、俯きそうになるのを堪えて、お頭の目を見て言葉を紡いだ。


「でも、お頭が少しだけ待ってくれるなら。ちゃんと、答えを出したいと思います」


だから、と言おうとしたとき、お頭はようやく重い腰を上げた。
ギシ、と木の椅子が軋んで、私のすぐ目の前にお頭が立った。
―――こんな答えじゃ、いけなかったかもしれない。
ふと、そう思った。
けど、お頭は表情を崩して、手を私に伸ばした。するり、と滑るように、私の髪を撫でた。


「いくらでも待つさ」


撫でた手に力が入って、そのままお頭の胸にダイブした。
硬い筋肉質の胸板。少しの無駄も無い引き締まった身体。海の匂い。ラム酒の匂い。オンナとは違う、オトコの香りに、一瞬くらりと眩暈がした。


「今まで、ずっと待ってたんだからな」


今までに無い至近距離で見上げたお頭の顔。
にやりと笑ったその顔が、いつもよりずっと眩しかった。





2010.12.30 三笠