お頭。 ねえ、お頭。 好きです、大好きです。 私はあなたに恋をしてるんです。 気付いていますか? あなたの瞳には、私は映っていますか? ねえ、お頭――、 「あれ、お、お頭!?」 「おっ、どうした? お前も月見酒の気分か?」 宴会の途中、ふとお頭がいないことに気がついた。 普段ならば、飲んだり騒いだり盛り上げたりゆっくり語らいだり、とにかくどんちゃん騒ぎをしているのだから、いないというのは珍しい。 毎日のように宴をするのはお頭の意向が大きいから、宴の主催者自身がどうしていないのだろう、ときょろきょろと辺りを見渡した。 しかし見当たらず、食堂や甲板以外も探してみたが、それでも見つからない。 今さら宴に戻ったとしても、お頭の行方が気になってしまってろくに楽しめないだろうと思って、なんとなく目に付いた見張り台に上った。 そしたら、―――探していた張本人がそこにいた、というわけだ。 「今日は満月だからなァ…。まぁ、座れ。こっち来いよ」 宴の最中なのに、なんでお頭はこんなところにいるんだろう。 お酒がまわってぼやけた頭でぼんやりと考えた。 「えっ…、あ、はい」 あまり広くない見張り台に、お頭が座っていて、私もそろそろとお頭の隣に座る。 隣と言っても、元々一人ないし二人しか入れない見張り台だ。 窮屈に足を引き寄せて座った。 「あの…、どうしてこんなところにいるんですか?」 どのくらいこの場所にいたんだろう。空になった酒瓶がいくつか転がっている。もうあまり残っていないのか、先ほどからちびちびと、舐めるようにお酒を嗜んでいるようだ。 「甲板で飲んでたら、月が綺麗でな。こっちの方が近くで見られるだろ。そんでちょっと上って来たってわけだ」 お前は?そう訊くお頭の眼には、私が映っていた。私しか映っていなかった。 ここには私とお頭しかいなくて、だからお頭は私だけを見てくれて。 どくん、とお酒のせいではなく心臓が高鳴った。身体が熱くなった。 「お頭が…、見当たらなくって」 正直に言ってしまっていいのだろうかと、頭のどこかで警告音が鳴った。 しかし、お酒の回った身体は、いつもよりも幾分か不自由で。頭だってうまく働かない。 「捜してたら…、ここにたどり着いた、んです」 「わざわざ捜してたのか? そりゃぁ悪いことしたな」 そう言いつつ、お頭は持っていた酒瓶をぐいと呷った。ごくごくと鳴る喉仏がとても色っぽい。最後の一滴まで飲み干してしまうと、お頭は酒瓶を空いたスペースに置いた。もう残りはないのだろうか。次の酒をお頭が手にする気配はない。私は、自分の持っていたラム酒のジョッキに視線を向けた。まだ半分ほど残っている。私はそれをなんの未練もなく、お頭に差し出した。お頭は苦笑したように顔を歪ませて、それに手を伸ばした。 節くれ立った手が、私の小さな手に少しだけ触れた。 「ありがとな」 「いっいえ、私が勝手にしたことなので…っ」 どくんどくん、心臓がうるさい。顔が熱い。 先ほど触れあった指先の感覚がおかしい。妙に意識してしまって、いつもの私の手じゃないみたい。 お頭の唇が、さきほどまで私が飲んでいたラム酒のジョッキに触れた。 あ、間接キス。そう思った瞬間、お頭の口元にばかり視線が集中してしまって、どうにも目が離せない。 「それで?」 「…はっ、はい?」 「なにか用があったんじゃないのか?」 お頭の視線が、私に降り注がれる。 用があったから捜していたわけじゃなかった。お頭の姿が見えなくなって何故だか凄く不安になって、それで捜し始めた。それだけだったのに。他に理由なんてないのに。 「えっと、特に用があったわけじゃないんです…。ただ、宴にいないなんて珍しいなぁ、なんて思っただけで」 「ん? なんだ、そうなのか」 適当な言葉を紡いで、視線を逸らす。 お頭は、納得したのかそんな言葉を言って、それでまたラム酒をごくごくと飲む。 飲み込むたびに動く喉仏がやけに色っぽくて、こんなに近くで見られることに緊張してしまう。すごくすごくうれしいのに、どきどきして緊張して、なんだか逃げ出したいような、ずっとこの時間が続いてほしいような、へんな気持ちだ。 「俺ァてっきり、なんか話でもあるのかと思ったんだがな」 「え…?」 お頭は、飲むのを止めて、私を見つめる。 私も、お頭を見つめる。 夜なのに、お頭の顔ははっきりと見えた。満月で少しだけ照らされて、赤い髪が美しく、さらりと風になびいた。 「おまえ、よく俺のこと見てるだろ。なんか言いたいことでもあるのかと思ってたんだが…」 「…っあ、」 あの、と慌てて声を出した。 気付かれていたなんて気付かなかった。そんな心配すらしていなかった。いつだってお頭のことが気になって気になって仕方がなくて、気がつくと目で追っていた。半ば無意識に、お頭のことばかり追いかけていた。 思い返せば、気付かれないはずがないのに。 どうにか弁解の言葉を紡ごうとするけど、意味を持たない言葉ばかりが口から零れおちて、どうにもうまくいかない。 あの、あの、とそればかり言ってしまう私の声は、情けないくらいにか細い。 「ち、ちがう、んです」 「違う?何がだ」 「なに、って。その、あの、私が、お、お頭のこと、見ていた、っていう、その、それが、えっと、」 混乱して頭が上手く働かない。 どうしよう、どうやって言い訳したらいいの。 なんて言えばいいのかわからなくなって、自然に私は俯いてしまっていた。 「…嘘つくな。全部、本当だろ?」 「なっ、なんで、そう思うんですか」 いつものように自信たっぷりな強い声が耳に響く。 私がお頭のことをずっと見ていたのも、言いたいことがあるのも、全部全部本当で。でもそれを悟られたくなくて、そして、言う勇気もなくって。 ただ見つめているだけでも、すごく幸せだって。そうずっと思ってた。 けど、こんなに近くでお頭とふたりきりでいられる。 それだけなのにこんなに幸せで、もっともっとと欲張ってしまう。 お頭の手が、そっと私の頬に触れた。 優しく持ち上げられ、視線と視線がぶつかる。 まっすぐな強いまなざしが、一心に私に向けられて。 恥ずかしさと幸福感でいっぱいになって、逃げたいようなこのままでいたいような、なんとも不思議な気持ちになっていた。 「どうしてだと思う?」 質問に質問で返されて、困惑する。揺らいだ私の視線と、まっすぐなお頭の視線。どうして、と言われてもなにも思いつきはしない。勘が鋭いから?まさか船員のこと全部なにもかも察しているの?そんなわけ、ない。いくらお頭でも、そんなことは出来やしない。…そう思うけど、確証はなかった。だって、お頭だから。この人はとてもとても凄い人だから。もしかしてできるのかもしれない。そうやっていろんなことをぐるぐると考えていたら、お頭はふっと笑みを零した。そして、ゆっくりと私の頬に当てた手を滑らせ、頭を撫でる。 「悩むな。簡単なことだぞ?」 「か、簡単って言われても…。全然、思いつかないんです、けどっ」 「なら、大ヒントだ」 そう言うと同時にお頭の顔がふっと近くなる。え、え、ってどぎまぎしながら後ろに下がろうとしたけど、お頭の手がそれを遮る。ただ後頭部に添えられただけの手に、どうしてそんなに力があるんだろう。そんなことを考えている間に、お頭の顔はさらに近づいて、目を開いているのも恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなくなる。おもわず、きゅう、と目を思い切り閉じた。 お頭の吐息を、存在感を、耳元で感じた。 「お前が俺を見ていた理由は何だった?」 耳元に熱が集中する。お頭が息を吐くたびに、耳にお頭の息がかかる。熱い熱い熱い。少し寒いはずの夜、見張り台。それなのに私の体はどんどん熱を上げていった。 私がお頭を見ていた理由?そんなものは決まってる。さっきはぜんぶ否定してしまったけど、私はお頭が好きだから。恋してるから。だから見ていた。見ずにはいられなかった。お頭の一挙一動にどきどきした。笑顔を見るたびにときめいた。あの笑みを私に向けて欲しくて、でもお頭と話すのは緊張してドジばっかりして。それでも諦められなかった。いつでもお頭のことを想っていた。ただただ、私は恋をしていた。 「お、おかしら…」 「ん、」 「その質問は、お頭が私のことを、その、好きだって言っている様に聴こえます…」 「それは、お前は俺のことが好きだってことを白状しているっていうのと同じことだな」 くすり、とお頭が笑うのが分かった。その次の瞬間、やんわりと、私の耳に、お頭の唇が触れた。あ、と声が出る。手が一瞬彷徨って、自分の服を握りしめる。脳内は既に混乱状態。お頭の言葉を理解しきれない。私のばかな頭はお頭の言葉を都合よく変換してしまっていた。状況判断すらできない。私にとってとてもとても都合のよい解釈以外の解釈が思い浮かばない。私は、こくり、と口に溜まった唾を呑みこんだ。 微かに聴こえる喧騒。月が明るく照らす中、私たちの唇は触れあった。 満月の下で、彼と逢う 2010.11.08 三笠 |