「じゃあそろそろ帰ろうか。暗くなってきたし」


神宮寺の腕では買ったばかりの服の入った紙袋が揺れる。すべて私が買ったものだ。申し訳ないと思いつつも、受け取るのは自然と神宮寺になっていて、今更だが神宮寺の自然なエスコート力には驚く。


「…ん」
「どうしたの、ちゃん」


神宮寺と2人でいられるのは今だけだと考えたら、少しばかり名残惜しくなった。神宮寺はいつだって女の子に囲まれているし、そろそろテストや合宿など忙しい時期にさしかかってしまう。
こんなやつどうでもいいと断言できた頃が懐かしい。嫌いではないが好きでもないなんて、昔は言っていたけれど、今では神宮寺の人気がある理由がよくわかる。甘いマスク、優しい物腰、堂に入ったレディファースト。悔しいけど、惚れるのがわかる。…かっこいい。


「せ、折角だし、観覧車乗ってから帰らないかな、って。…え、えっと、今度作る曲に役立つかも、なーんて」


無くなれ動揺。嘘じゃない。嘘じゃないけど、その裏に隠れた感情なんて気付かれたくない。聡い神宮寺のことだからきっと気がついてるけど、気付いて欲しくない、私のこのばかな感情。自分でも気付きたくなかった。神宮寺なんかに、焦がれてる、なんて。


「そうだね、ちゃんと観る夜景は抜群だろうし。じゃあ行こうか、レディ。暗いから気をつけて」


荷物を持っていないほうの手をこちらに差し出されて、咄嗟に手を重ねそうになる。私は絶対にほだされないと思っていたのになあ、なんて。もうほだされているのが分かっているからこその感情だ。
素直になりきれない私は、一緒にいたいと思っていながら神宮寺を調子に乗らせることは嫌だと思った。
私は神宮寺の手に手を乗せることはなく、そっぽを向いて観覧車の方に歩き出した。


「私そんなに子供じゃないから」
「子ども扱いしてるわけじゃないんだけどなぁ」


くすくすと笑いながら神宮寺は私の隣を歩く。一瞬見上げそうになって、でも今見上げて自分の顔も見られるのは嫌だと思ってやっぱり顔を背ける。そんな私の肩に神宮寺はそっと手を乗せた。優しく大きな手が私の身体を引き寄せた。


「じ、神宮寺」
「可愛いレディがフリーだと思われたくないからね」
「…女の子たちの視線が痛いんですけど」
「君が可愛いから嫉妬してるんだよ」


絶対そうじゃないと思いますが。そう思いながら言い訳するだけ無駄だと思って押し黙った。
観覧車の周りはカップルばかりで、なんだか恥ずかしくなるような雰囲気の中話題も思いつかず、黙ったまま(神宮寺は笑みを浮かべながら)観覧車に乗り込んだ。


「…さっきから黙ってるけど、なにか不満でも?レディ」
「神宮寺は楽しそうね」
「そりゃあ、君と2人きりで観覧車に乗れるなんてこんなに嬉しいことはないよ」
「神宮寺って、彼女は何人いるの」


楽しそうな神宮寺を見るのがちょっと嫌になって、嫌がりそうな質問をした。でも神宮寺は顔色を変えず、くすりとまた笑みを浮かべた。


「特別付き合ってるレディはいないかな」
「へえ、意外」
「意外? 心外だなぁ、君にはそんなふうに見えてたんだ?」


軽口をたたくように神宮寺は言う。見えるよ、いつだって女の子に囲まれてて。それを嫌とはいわずむしろ好んでいる様子さえ伺えて。
ゆっくりゆっくり上昇する観覧車。私は早くも居心地の悪さを感じていた。


「俺が本気なのは君だけだよ」
「嘘ばっかり。そういう台詞、誰にでも言うんでしょ」
「本当だって。ねえ、どうしたら俺の言うこと信じてくれる?」


すっと神宮寺は立ち上がって、私の隣に座った。
観覧車はがたんと大きく揺れて、私は思わず肩を揺らす。それを神宮寺に悟られて、また肩に手が触れた。


「ごめんね、怖かったかな」
「だっ、大丈夫…それより、」


近い、と呟いた。小さく小さく呟いたのに、神宮寺に聞こえたようで、またくすりと笑みを浮かべた。
間近で見るとやはり神宮寺の顔は綺麗だ。肌は潤いまつげは長く細い。髪だって潤って、羨ましいくらいだ。


「顔、赤くなってる」
「う、うううるさい…っ」
「可愛いな、食べちゃいたいくらいだ」


そう言って神宮寺はわざとらしく舌なめずりした。ひっと声が出た。怖がっているようですごく癪だけど、赤い唇が、赤い舌が、ひどく欲情に満ちているようで、もう下がりようも無いというのに背中をどんと窓にぶつけてしまった。


「俺のこと、見境なしの狼だとでも思ってる?」
「そ、そこまで思ってない」
「でも近い感じなのかな」


くすくすと笑う神宮司。
肩に触れていた手が優しくゆっくりと私の頬に触れた。
ひい、と反射的に声が出る。うっかり手の動きを目で追ってしまって、他のものから目をそらしてしまった。鼻にかかった吐息で気づいたら、もう神宮司の顔はすぐ目の前だ。もう下がることはできないし、私はぴくりとでも動けない。


「口づけたら分かってくれるかな」
「いやあの、なんでそうなるの」
「君が思っているよりも、キスはいろんなことが伝わるんだよ」


たとえば俺がどれだけ君に焦がれているか、とかね。
囁くように吐息混じりで話す神宮司はずるい。
全部分かってやっているんだ。それでいて、ぐらついてる私を見て面白がっているんだ。
そうおもう。思いこもうとしてる。


ちゃん」
「…っ」


もう目を開けているのもつらくなって、ぎゅうっと目を瞑った。
甘い声が、手が、私に触れる。
こんなに近くでこんなに魅力的で、溺れないわけがないんだ。
私にとって、これはすごくすごく必死の思いで決断したことだった。
認めた、ようなものだった。この状態で目をつむるなんて、受け入れてしまうようなものだった。
それなのに、これ以上神宮司が近づくことはなかった。
またくすりと笑う声がして、手も離れていった。


「…え?」
「そんな顔してる子に、無理やりキスなんてできないよ」


うそ、なにこれ。
神宮司は視線を外に向けて、「そろそろ頂上だね」なんて呟く。
それを見ていたらなんだか少しムカムカしてきて、からかわれているこの状態で終わりたくなくて、今度は私から、神宮司の第二ボタンまで開けられた胸倉を両手で掴んで引き寄せて、その胸にぐりぐりと頭を押し付ける。
ここで初めて、神宮司は少したじろいだ気配を見せた。


「せ、責任とってよばか」
「…なんのかな」
「ここまで、期待させといて、今さらなにも思ってないなんて言わせない」


キス以外じゃなにも伝わらないとでも思ってるの。
そう言ったら、神宮司はくつくつと肩を震わせた。どうやら笑っているらしいというのはすぐに気付いた。
見上げると、口元に手を当て、笑いをこらえている。


「こんな強引にキスを迫られたのは初めてだ」
「なっ…、べ、別にそんなの迫ってない!」
「迫ってるよ。君からこんなに近くに来てくれるなんて初めてだし」


「つくづく飽きない子だね」と神宮司は笑った。
手が後頭部に回って、ゆっくりと神宮司が近付いて。今度は軽く目を瞑って、そして、そっと触れあった。



それは一瞬の出来事でした。



(ねえ、ちゃん。俺たちってさ、)
(今曲作ってるからあとでー)
(昨日のことって、俺はどう消化すればいいの?)
(…………るーるるー)
(じゃあ、曲作り終わって、俺が君の満足いくように歌えたら、さ。恋人になってよ)
(るるー…は!?)
(約束、ね)


2012.8.2 三笠